丸が描けるまで~3~

子どもの絵は
じつは こういうこともあります。
三島由紀夫 全集より
これは文章の話ですが、絵にも十分にあてはまります。
子どもの文章は表現の奇抜さと感覚のどきりとするような生々しさと、一種のデフォーメーションの面白さによって人の注意をひきます。
子どもながらの文章で人に喜ばれているのは山下清氏の文章でありませう。
しかし それはあくまでも文章として片端のものであって、子どもの唄やつづり方における奇抜さは、年と共にうすれ、山下氏のような一種病人でない限りその魅力はうすれます。
そうして大人の常識に侵されてもなほかつ、内部から子どものように新鮮な感覚がひらめくものが本当の文章の面白さなのです。
子どもは 大人よりもさらに「事物の世界」に親しみを持っています
手にしたオモチャや 庭の木や そこらにころがっている石や 昆虫や動物が、子どもとの間に大人よりももっと深い親戚のような関係を持っています。
その発見がわれわれをおどろかすのですが、われわれはこういう関係を見失っているからです。
そうして この子どもの世界を大人の目からながめた ジャンコクトーの「おそるべき子どもたち」や谷崎氏の「小さな王国」によってわれわれはふたたび子どものかいた文章よりも大人の魂が子どもの世界にふれた文章の方がずっと貴重なのであります。
・・・・・
ちょっと、私の伝えたいことと似ています。
ありがとう。資料提供 U介さん。

丸が描けるまで~2~

赤ちゃんの絵は芸術作品ではない・・
子どもの絵(特に3歳までの絵)は神聖なものとして、過敏になる必要はないということについて説明します。
まず、赤ちゃんは
7か月 一人で座れるようになり座って両手が自由に使えます。
9か月 両手に物を持ったり打ち付けたりたたきあわせたりします。
何か描こうとする体ができたら、環境設定という意味で、できたころが(おえかきをする)その時です。
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このころの絵です。P1018489.JPG
しっかりとペンを持っています。
しおりちゃん。
ありがとう。
離乳食が進むと
こっぶを持ってお茶を飲む 
スプーンを持って、食べ物がお口に入る 
など、道具を使って上手に行動をおこすことができます。
手と目の協応運動(動作)と言いますが、指と手と目のバランスのとれた協応運動は生まれたときから いろいろな外界とのふれあいから発達してきます。
協応運動は段階的に少しずつ成長していきます。
  刺激は 五感で集められて 脳に。それから 考えて 運動へ 手へ伝わります。
芸術だといってしまうよりもっと大事な考える脳にも、また身体の発達にも役に立っている。
芸術というわかりにくい枠にはめるより 自由にのびのびと。
そういうことが言いたいのです。

丸が描けるまで~1~

あってもしょうがない。役に立たない。無駄なもの。
芸術は無駄なものです。。
さてさて
本当にそうでしょうか。
芸術は人間に必要なものです。きっぱり。
赤ちゃんの時代から道具を持って丸を書くのにおよそ2年半・・3年・・3年半・・ぐらい
スタートからゴールまで行ける。丸が書けるってすごいこと。
これに優劣がありますか?
無駄なものがどこにあるんでしょうか。
人間に必要なものは「無駄」
文化は必要なものなんです。
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大きな○を描く人。早く強くしっかり濃い色を描く人
やさしくゆっくり丁寧に描く人
いっぱい描く人
一つ一つちがう○の形。
お母さんから少しずつはなれ、
離乳食もはじまり外の刺激と充分に受け取って一歩一歩成長します。
記憶力もついて、道具を使い、ハイハイからつかまり立ちへ
今まで見たことのないものに興味津々。
その丸の形と色に一つ一つに個性があります。
あなたの○はこんなだね・・そしてあなたの○はどんなのかな?
個性を認め合って、正解はない。優劣もない。
こういうことが人間には必要で、
絶体に無駄なものではありません。
○を書きはじめて
まず元気でよく体を動かす人は 力強い絵を描いていきます。強い色が好きで、はっきりした○をかきます。
やさしい人はあたたかい○をかきます。配色も線もあたたかいです。やさしい配色を使います。
考える人は工夫して、変化をつけたり実験したりして描いていきます。重ねたり、混ぜたり、実験を繰り返します。
自分で考えてくふうする人は、同じ〇でもとてもいきいきとしています。
画面いっぱいに大きく○を描く子はのびのびしている人というよりは、画面いっぱいにのびのび書くのが楽しいようです。
全く描かない人も、心の中では十分に何かを考えています。
指導者は資格を取るよりも大事なことがあります。
その人(対象)の気持ちになってみることです。
(デッサンと同じです。)
感受性は先生に最も必要です。
○ひとつ描いても、色や形大きさ。
そして性格や個性によって
みんな違いますが、それこそが大事なことで、優劣もなく
子どものすることに無駄はありません。
個性を認め合って、刺激をうけてのばしていくものです。
そういうことがわかる大人であることが大事です。
芸術[芸術を感じる心」は無駄なものではありません。
最後にとても大事なことですが
子どものかく絵は芸術作品ではありません。
芸術的才能とかそういうことよりも
運動の一部であり成長の過程、
軌跡だととらえて、
才能を伸ばすなどではなく、
「ゆうちゃん。まる描こうか~。」と遊びのなかで楽しく、遊びにさそってあげましょう。
そこには、あの人と遊びたいな~と思わせるムードと雰囲気が大事です。
笑顔です。
鏡に向かってにっこり。自然な笑顔を練習しましょう!