最高の筆といわれるものを、高校生のときに先生に見せていただいた。初田寿先生。それは私が受験生のとき 素描の現役の受験のテーマが「ガジュマル」という木がたった1本。絵の具による着彩だった。その木の絵で落ちた。そして今でも京都芸術大学の学生食堂にある。なんとなく消化に悪い木[E:eye]
筆について高校生のときに考えたことがあり、それ以降自分なりに深めてみた。
弘法 筆を選ばず
という話はどうでしょう。
技術を磨くことによってより高い理想の表現を求める。筆がよいと、予想以上の自分の手をはなれた高い理想のもとに連れて行ってくれる。筆が作品を仕上げるというのかな。そういう経験をしたことがある。絵の具だって同じ。やはりキレイな色はまぜてもできない。もとから違う。日本画の絵でも、色によってこれは、高級な絵の具を使った絵だな。とか、そういう目でみると、絵の具がいかにキレイでもその絵の価値とはまた少し違う。
それは、楽器も同じことではないかと思います。
それゆえに・・弘法はかなり筆にこだわった方だったと、おもわれます。
最近では100円でなにもかもそろいます。たてぶえも、キャンバスも、ふでも、絵の具も。私たちが芸術で勉強してきたこと。そして、子どもたちに伝えていきたいこと。
大量生産 大量消費 筆であれば、なんでもいいのか。
それは違います。
心を育てる、高きを目指す、まっすぐな気持ちで。それこそがまさに勉強しあって高めることです。技術を高めるためには 練習 努力 道具 もちろん大事なのですが、それだけではない人間を育てるということが本当に伝えたいことです。
主題「まほうの筆」にはそんな想いをこめました。