しおりちゃんです。ママが京都伏見アトリエ遊でお煎茶教室のお稽古をしている間に お絵かき、音楽を楽しんでいます。
今日は 1歳のお誕生日がすぎてすぐの「ぷっちプチ」です。
お絵かきをしています。
私が描いた絵の上にいろいろな線を描いていきます。
今は なぐりがきの時です。
抽象画のようにおもいっきり描いています。
まるで抽象画を描くように子どもは絵を描いています。でもこれは運動の一部として手を動かしています。
その結果として絵に、画用紙上に(記録)として残り
大人はその絵を新鮮に感じている。
決して神聖なものではなく、本人は当たり前の会話のようなもの。
すきなように、のびのびと・・・描くことが大事なことはもちろんです。
もし、そうではなくて、
無理やりに押さえつけたり、型にはめたり、無理やりに描いたような絵を描くこともあるでしょう。
それが将来 何かの原因で才能をダメにしてしまうようなことにはなりません。指導がきっかけで才能をつぶしてしまうことはありません。
むしろ、いろいろな場所で、環境で
色々な経験をして、
楽しみながら、うたいながら、生活の中に取り入れていきたいですね。
以下は子どもの絵にも共通するようなお話です。ご参考までに。
三島由紀夫 全集より
子どもの文章は表現の奇抜さと感覚のどきりとするような生々しさと、一種のデフォーメーションの面白さによって人の注意をひきます。
子どもながらの文章で人に喜ばれているのは山下清氏の文章でありませう。
しかし それはあくまでも文章として片端のものであって、子どもの唄やつづり方における奇抜さは、年と共にうすれ、山下氏のような一種病人でない限りその魅力はうすれます。
そうして大人の常識に侵されてもなほかつ、内部から子どものように新鮮な感覚がひらめくものが本当の文章の面白さなのです。
子どもは 大人よりもさらに「事物の世界」に親しみを持っています
手にしたオモチャや 庭の木や そこらにころがっている石や 昆虫や動物が、子どもとの間に大人よりももっと深い親戚のような関係を持っています。
その発見がわれわれをおどろかすのですが、われわれはこういう関係を見失っているからです。
そうして この子どもの世界を大人の目からながめた ジャンコクトーの「おそるべき子どもたち」や谷崎氏の「小さな王国」によってわれわれはふたたび子どものかいた文章よりも大人の魂が子どもの世界にふれた文章の方がずっと貴重なのであります。
2014,1.18 ぷっちプチ 京都伏見アトリエ遊