今日の栞ちゃんです。もうすっかりお話しできます。
たのしそうにピアノを弾きます。もう一回ってリクエストしてくれます。
二人で合奏しています。
「ゆうこせんせいさようなら」と言って帰りました。
もうすぐ2歳です。
ふしぎちゃんだけのページができました。
http://fushigichan.maestro-kiko.com/
文章はNO5高校生の文章です。勇介です。
メモを渡してから学校へ行きます。
メモがある日に「ふしぎちゃん物語」は進んでいきます。テスト中はお話が難しくなるかもね。
ふしぎちゃん物語はじまりはじまり
みなさんがもし京都の陶器をお持ちなら
これからお話するかわいらしい彼らの存在をいくらか納得していただけるはずです。
みなさんは、机上の焼物のつるつるした表面に
動く何かをみたという体験がきっとおありでしょう。
いやきっとあるはずです。
子どもたちはみんなしっています。
ふしぎちゃんの存在を♪
そんな子どもたちからきいたお話を私はみなさんにお聞かせしようというわけです。
お楽しみに。
作品を作るにも何をするにも家族の協力があってこそです。
この1ヶ月パソコンに向かう時間も減らし、できるだけ次男とすごしました。
片頭痛で学校を休みがちだったことが原因です。あらゆる検査もしましたが、一番の原因は多感、敏感、集中しすぎることです。遺伝もありますが、これは芸術家の子どもに多いことです。個性は大事なのですが、家族は案外ストレスに。(私はもう少し、なんとかがんばれそう)小学6年生。中学受験を考えているなら焦ります。
本人が一番つらいのです。不登校になっていたら、ご家族はどういう気持ちになるか少しわかりました。単純に解決する問題ではありません。いじめみたいなことがあっても同じように感じました。多感だからこそおこること。たくさんあります。
もし、そういうことに気が付かないで通り過ぎる思春期ならそれもいいでしょう。でも、私はどこかでほっとしています。やっぱり・・普通ではいられないんだということ。
クリエイティブって言葉にするとかっこいいでしょう。でも厄介なものです。ここでご紹介するのは少しよいこともあるっていうこと。
心の中にクリエイティブをもっているとよいこともたまにあります。
お絵かき教室でまなぶことで大人になっても役に立つといいなと思いました。
○常に子どもの心で物事を見る
○理性では違うことを考えていても、心の赴くままに行動する。
○時間を忘れて没頭する
○多くの人が難しい、と思った時にこそ、「チャンスだ」と思える
○コインの裏側を見ている
○限度という言葉が嫌い
(参照:justsomethingクリエイティブな人はココがちょっと違う!22の違い)
22個の中の6個です。
どんな職業でも、どんな環境においても、おもしろいなと思って今あるものをもう一度再確認してほしいし、頭で考えすぎないで、心の目で見てほしいと(真実)を感じてほしい。それから、みんながだめだと思うところに「チャンスだ」と思ってほしいものです。
そして、ここで「おしまい」はない。生きている限りクリエイティブだということを忘れないでほしい。
どんな大変なことが起こっても、そういう気持ちでまた立ち上がればいいのだと。クリエイティブに生きていくこと。私は絵だけ工作だけおしえているのではないと、そういう気持ちを感じてほしいとおもいます。
さて、我が家には多感でどうしようもない兄弟がいます。兄はもっともっと大変だったのです。だから私も強くなりました。病院で小児科の先生が「もっと心を強く持ってね。勇介君」すると、「ぼくだってそれを望んでいます。でも、つよくなりたいとおもってもそうならないので 病院にきてるんです。」と言いました。(笑うところです・・)先生ごめんなさい。
こんな調子で、なんとかなるのか、どうなのか・・わたしも自信ありません。。
今日は学校に行ってくれました、のりくん(次男)です。まだまだ何かありそうで、いつも安心できないけれど。なんとか、クリエイティブはよいもんだと思って育てていかなくっちゃ。せっかくの神様の授かりものです。多感万歳♪だと今日は思うことにしよう。。また明日考えがかわるかも。クリエイティブだからね。今日も笑いながら、子育てがんばりましょう♪♪
暗い気持ちの時 暗い絵になるでしょうか?
弱い人が弱い絵を描くでしょうか?
もう駄目だ・・これが最後だ。という人が絵を描くでしょうか。。
子どもにとって絵は表現であり、自分を映す鏡のようなものです。
大人の表現においては、自分が弱いということを表現できる作品を作る人は強い人です。
暗い配色だからと言って、暗い気持ちだとは限りません。
その日の状況もありますが、絵はストレス解消にもなります。
いろんな色を混ぜると楽しいです。赤と緑と白を混ぜるとどんな色?オレンジに緑を混ぜると?混ぜれば混ぜるほどグレイになります。
絵を描く人、また、自ら筆をとる人(描かされる絵ではない)は生きる元気にあふれています。
もう駄目だという絵、何かを訴えたい人、つらい人の絵はわかります。
文章を書いて 描きながら乗り越えるような、そういう日記のようなもので、子どもも大人も絵を描くとすっきりしたりしています。こどもがたとえば人殺しの絵を描くから将来恐ろしい人になるのではなく、その人の目は明るいということがあります。その子は、みる人をびっくりさせようとか、おもしろいと思わせたいとか、興味を向けたいとか・・そういうことが多いです。
子どもの絵の中には、昔 留守番がこわくていやだった。階段からおちてこわかった・・・などということを自然と描いてしまううことがあります。自然とそういう絵になります。何とも言えない絵やつらい絵も、もちろんあります。肌で伝わってきます。それでも、絵に描いたときはすでにその過去をふりかえっている状態だったりして、つぎに描く絵は超ポジティブ。そんな時が多いです。一枚ではわからない。次に何か新しいことに向かっていく、次のページを開くとき、少し振り返ったり、熱を出したり・・そんなことを絵の上でしていきます。
子どもにもいろいろなことがあります。一枚の絵だけで決めつけないでほしいと思います。描いているときの表情、会話が大事です。絵以上に大事です。絵や工作がストレス解消の場として、また自分自身のストレスなどとうまく付き合って、困難から自ら乗り越えてほしいものですよね♡(がんばれ)
感覚の鋭さ。これは我が家の兄弟に当てはまることです。
たとえば 視力検査ですが 視力がよすぎる。2.0どころか・・たとえばどこまでも見える。何でも見える。
すごく広いホールに立って歌っても、お客さんすべての顏が全員大体見える。どこにだれが座っているか。
それから、聞こえすぎる。小さい音まですべて聞こえる。においにも敏感。
これはどうかとも思うのですが、決して成績がよいとか勉強は関係ないようですが。
兄は本の暗記。文章の記憶。(心配するぐらいに正確)次男も映画のセリフの記憶と音楽の歌詞の記憶 (こちらも正確)何度もいうようですが成績とは関係ないのです。
それで、切れ上がった感覚に三代貴古のデザインを思い浮かべます。これは遺伝だと思う。
私もかなり敏感な(そしてのんびりした)子どもだったので、どうしようもないことです。
少しの間、子どもの様子をみて付き合っています。
光 音 におい 紫外線 すべての刺激が頭痛になります。
感受性が強い。それはとっても良いことだと思うようにします。
鋭い感受性と繊細な気持ちあってこその、三代貴古の器。
子どもたちから、貴古窯のデザインの鋭さと美しさを再び感じます。
こちら フチ子さんと貴古窯の器です。のんびりいこう。毎日焦らずに。
いつでも、どこからでも、スタートできる。がんばろうねと、自分に言いながら。。
どうぞ皆様も元気で五月をのりきりましょう♪
子どものお絵かきにグレードをつけることにはあまり興味がありません。
必要な時には デッサンに、100点満点の30点から95点まで細かくつけることもできます。
「まちがいさがし」という作業ともいえます。
たとえば ○×○大学の受験で最低点だった作品が ×○○大学というもっと入学しにくい大学で最高点だった人の絵について。
その絵は、引っ越し前の深江教室に隠していました。
もう緑橋教室に引っ越すときにはなくなっていました。
その絵。どう見ても、ぐちゃぐちゃな絵です。なぜかというと、全部木の棒で描いているからです。割りばしや、鉛筆の裏、筆は使いません。
ただ一つ良いところがありました。10メートルから20メートルほど離れてみると、人の顏やきちんとしたモチーフに見えるんです。本当です。(以前ご紹介しました)
審査の時に離れてみてくれる大学では最高点でした。
気持ち悪い絵と、素晴らしい絵は紙一重です。
天才も紙一重です。
これから世の中を変えようという人は、紙一重。
それを、単純に点数に置き換えるのに 審査する人の欲徳。ものさしをつくる人になぜか、ちょっと しょんぼりする私です。
もっとあります。作品を天地ひっくり返したら、最高点になった絵。
公募展などでも、裏返したら(裏面)のほうがよかったとか。にじみが絵よりよかったとか。
そのような絵を大事にしていましたが、今はもうありませんが・・。
もし、自分の子どもが 何かの世界で紙一重だったらどうでしょう?
「卑屈になってしまたら負け。」
息抜きが必要です。
今すぐに勝たなくてもよいと言ってあげようと思う。人生はながいのです。
この子の持っているものは最高で だれにもまねできない素晴らしいものだと信じて応援して当てはめることが私の最大の力を発揮するところです。
(自分のこと、自分の子どもは全くダメなのですが)
人生で一番大事な時まで、やる気スイッチは押さなくてよい。
朝日新聞4月22日
「夢はかなう」引きずるロマン より
あんなに平凡そうな普通の人が、実はすごい人だった。とか、話題を集めて 売れる作家になったとか、そういう「夢」。そういう夢はかなうのか。
最近のニュースでは、あんなにかわいい人がすごい研究をした。とか、○○なのに素晴らしい曲を作ったとか。
研究そのものよりも、あんなに○○な人が。。というところばっかりを取り上げて、どう素晴らしいのか価値基準を持たないでちやほやする。
その上、裏切られた・・と思ったりする。
なんだろう。この感じ。
哲学者の 竹田青嗣さん
中略~挫折感がない、それゆえに自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしないという問題、現代に固有の危機だと思います。
若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと表現することが文化のおおきな役割だと考えています。
・・・・
そうかもしれない。
子育てにもある。親がすべて完璧に用意してしまう。
ほったらかしの放任ではないけれど、夢や希望を持つことは大事です。
そのことを、どうすればよいのかを考えさせないとだめなんだ。
主人が 次男に言うこと。
「おまえはあほか。自分でなんとかしろ。自分で考えろ。」
時には、手も足も出る。次男は兄とは違う。
次男が泣く.
泣きながら寝てしまう。
そういうことは、主人の出番。
私は、何一つとして、できていない。やればやるほど。
今日も頑張って 家事 先生 作品。
挫折感と戦います。