京都伏見アトリエ遊煎茶教室 弥生

 

弥生

関西の「緊急事態宣言解除」暗く長いトンネルを抜けた様でいて必ずしも両手を上げて喜べる状況ではありません。
基本の「マスク」「手洗い」「三密回避」が習慣づいたものの、何時も不安が付きまとい、自分自身の中の何かが崩れてきていると気づいておられる方も多いのではないでしょうか?

お茶の世界の在り様も変わり「何かあってはいけないので」という考えのもと中止や自粛が相次いでおります。
そんな中、日々のお稽古だけは気をつけて行っております。
マスクを外してお茶を飲めば、皆さんいつも通りの笑顔が弾け和やかな時間が流れます。
「お茶って!結構心の拠り所になってるんですよねぇー」というお弟子さんらの会話にホッとします。

生活スタイルが変わる中、何か1つでも心の拠り所となるものがあれば嬉しいものです。
それが「お茶 煎茶でもお抹茶でも」であれば、より嬉しい。

秋期企画展 「煎茶の嗜み」開催のご案内

展覧会のご案内です。

不肖私も作品を出品させていただいております。

お時間がございましたら

ご高覧いただくようよろしくお願いします。

貴古窯 今橋剛和

ホームページより

煎茶道―もうひとつの茶道ともよばれる、お茶の世界。

江戸時代の半ば、高遊外売茶翁が供したお茶で、文人の嗜みとして広まりました。

本展覧会では、佛教大学にご出講いただいている小川流煎茶七世家元小川後楽氏のご協力のもと、小川流に受け継がれた心と技を頼りに、風雅な煎茶の魅力をご紹介いたします。

煎茶独特の道具やしつらい、所作、お茶席。そこに具わる美。

小川流では、お茶の旨味を凝縮した数滴を喫す「滴々のお茶」が煎れられます。

そのような、煎茶の歴史・伝統のエッセンスをご堪能ください。

□秋期企画展「煎茶の嗜み」

開催期間:2020年10月24日(土)~12月5日(土) 

10時~17時30分(入館は17時まで) 

入館無料、月曜日休館

会  場:佛教大学宗教文化ミュージアム

 

 

アトリエ遊 伏見煎茶教室12周年記念茶会 

アトリエ遊 伏見煎茶教室12周年記念茶会

茶室の設え

三代貴古作 緑釉金彩菓子鉢

三代貴古作 美味救心

床の間の飾り

炭組 邯鄲

茶会記

当代家元 造形大学井上先生らをお迎えして

吉田山荘の女将さん 若女将さんらと

椿堂茶舗主人 竹村龍男さん

菅井先生、お母様らと

造形大学 田口章子先生らと

普段とは違ったところから席入り

遠州流ティアス先生らと

打ち合わせ

橋を渡ってお茶席「憩寂庵」へ

ノアノア特製サンドイッチでランチタイム

受付の様子

ご案内

受付前にてお出迎え

「煎茶」の醍醐味を満喫できる「白沙村荘」にてお茶会を催すことが出来た事はこの上ない喜びでした。

「随所で茶を煮る」の言葉通り、風光明媚な自然の中に身をおき、自然の声に耳を傾けながら茶葉の持つ旨味を十分に引き出した翡翠色の煎茶を味わうことを昔から「文人墨客」と言われた人達は楽しみ.愛してきました。

一杯のお茶を味わうことで自分と向き合えたり.芸術が生まれたり、様々なドラマが生まれてきました。

そんな「煎茶の魅力」を一人でも多くの方にご紹介出来れば幸いです。
興味のある方は是非一度
貴女の次なる扉が開くかもしれません。

小川流煎茶家元師範 今橋治楽

京都伏見アトリエ遊 煎茶教室

京都伏見煎茶教室
神無月
台風の影響とはいえ10月だというのに異例の暑さです。各々の中で描き楽しもうと思っている秋とは余りに違い過ぎている現実に、苦情が口からついて出ます。
でも、自然界は人間の世界よりも季節の時計が進んでいるのか虫たちは10月に入ると早くも「冬ごもり」の支度に入るそうです。
お茶の世界も同じ。
扱いは秋、味も深まる秋の味になっています。
これからどんどんと熟味を増す季節。腕前の問われる秋の到来です。

京都伏見お煎茶教室

 

京都伏見アトリエ遊 煎茶教室

京都伏見アトリエ遊
煎茶教室

文月
令和元年の祇園祭です。
1ヶ月にわたる神事が執り行われますが、氏子の皆様.関係者の皆様のお勤めに感謝しつつ、神事が無事に終えられます様市民の一人として願いつつ1ヶ月を過ごしたいと思います。

お稽古は小川流の夏のお手前「冷淹手前」に入りました。昨年は白沙村荘のお茶会のお稽古の為「冷淹手前」は取り止めました。ですので二年ぶりのお稽古になります。戸惑う人、新鮮に感じる人、それぞれ。
冷たく甘露な味わいを楽しみます。
世間では「水だし煎茶」に注目が集まっています。
エピガロカテキンを豊富に抽出することができ、又それが熱中症予防になると言われているからです。

暑さ厳しい街、京都
この街にはその暑さを楽しむ知恵と工夫が沢山あります。冷茶もその一つでしょう。
上手に生活に取り入れながら健康に過ごしたいものです。

 

京都伏見アトリエ遊お煎茶教室

弥生
新しい元号「令和」の元でのスタートです。
特に伏見教室の皆さんにとっては3月に十二周年記念茶会を無事に終えられ、各々が自身の役割を果たせた充実感を持って迎える月になります。
勿論反省もあるでしょう。でも、それ以上に次に向けての目標が出来たことと思います。その思いを自身の中で明確にして取り組んで欲しいと思います。
桜もその思いに花を添えてくれることでしょう。
上級者は本格手前に平手前の方は下鴨神社のお茶会に向けて文人手前に磨きをかけて下さい。
一つ上のお茶会を目指したいものです。

 

京都伏見アトリエ遊煎茶教室

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京都伏見お煎茶教室のお菓子です

たんぽぽです

黄色いお花、春ですね。

国公立大学の入試もいよいよ前期入試、次の中期、そして来週は後期日程になります。

伏見教室の受験生、勇介くんも中期の試験を受験を終えて教室に帰ってきました。

たんぽぽのお菓子にホッと一息です。

初めての場所で見たこともない石膏デッサンをして帰ってきました。

いつもどおり、一生懸命に取り組んだご報告。

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良い知らせを待っています。

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教室が、春の知らせを待っているように感じられました。

一年はあっという間に過ぎて行きました。

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京都伏見アトリエ遊煎茶教室

3月4日無隣庵にて中国の方々に小川流のお茶を差し上げる機会に恵まれました。A7DA060B-9632-4A78-9AB5-388AF0DA0269
京都造形芸術大学院卒業の李さん一行で、皆さんは年に一度日本に来られ古美術の勉強をされているそうです。
その日は春本番の暖かさと天気予報では言っておりましたが、離れの茶室は少し肌寒く感じました。
何分、茶の湯の茶室の為三畳等の小間ばかり。
その小間を縦長に使って(まるで電車の様でした)開けられる障子は全て開けて、庭の緑が目に入る様に、風が行き通う様に設えたところ、これがなかなか良いものになりました。
私もお弟子さんも初めての経験で良い勉強になったと思います。
何度も日本に来て色々な所でお茶の体験をしてこられた様ですが、代表者の方が「今日初めて本当の玉露を味わったと云う実感を持ちました」と感想を述べて下さいました。
嬉しい限りです。
どうやら皆さん、お茶会でお客様をもてなす喜びを見出だした様で下鴨神社のお茶会が楽しみです。

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今橋治楽

京都伏見アトリエ遊お煎茶教室

9月
六世家元が旅立たれて一年。皆さん各々に思い出のおありの事と思います。今日は満月、空を見上げながら故人を偲んで頂ければと思います。
以下の文章は六世家元を偲び私が書いたもので「三清会通信」に掲載されたものです。

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「中国旅行にご一緒して」今橋治楽
御家元と行く海外旅行はいつも日本からの添乗員は無し。その分の費用を私達の旅行内容の充実にあてて下さった。普通のパック旅行では味わえない「本物の中国と出会う旅」という御家元の思いに溢れていた。
先にご自身が行かれ、これは皆に見せたい、触れさせたい、賞味させたい、感動させたいと思われる所に連れて行って下さった。現地の添乗員の解説で不充分なところは家元自らが付け加えられた。思わず添乗員が拍手するほど中国の事をご存知だった。
そんな御家元に導かれながら旅する中国に、いつの間にか私自身も嵌まってしまっていた。お茶に関する事は勿論だが、中国で接する人々にも関心を持った。どなたも親切で温かい方ばかりなのだ。中国の学者さん、馴染みの添乗員さんら、御家元と以前何らかの関わりを持たれた方々だろう、「小川後楽が中国に来ている」という噂でも流れたのだろうか、御家元に一目会いたいとお土産を持ってホテルの部屋の廊下にずらりと並んでいるのだ。私はその時案内係とでも言おうか、「次の方どうぞ」と順にお客人を部屋の中へ案内していた。全てが終われば日付の変わっていた時もあり、今から思えば嬉しい事もとはいえ体力的にもキツイ事だったろうと思う。しかし私達にとっては、頂かれたお土産の中にとても美味しいお菓子もあって感動した。特に忘れられないのが大きな月餅で、4分の1づつ中に入っている物が違っていた。(レーズン、くるみ、粒あん、餅)そしてその月餅のどこかに金の人形が入っていて、それに当たるとラッキーと云うので皆でワイワイ言いながら食べたのを覚えている。
御家元にとって中国は原点。そこで暮らす人々についての真実を知りたい、遡っては空海が漂着した頃はどうだったろう、唐代の陸羽.盧同に会ってみたいなぁーという情熱いっぱいの御家元の姿を、門人皆微笑ましく見守っていた。そこに小川流の確たるものを見ていたのかもしれない。
随分と前になるが(まだ20世紀の頃)21世紀は、ただ健康だけでは足りない。理性に裏付けされた文化を持って心豊かに生きる事こそ、人としての喜びではないか。それに『煎茶』はピッタリなのだと言っておられた。私はその言葉が頭から離れなかった。
人類と出会って五千年とも六千年言われる『お茶』。その間忘れ去られる事もなく、飽きられる事もなく今に続いている。そのお茶の持つ本来の在り方を問われていたように思う。現在を生きる私達にとっての「お茶のあるべきようわ」その思いを汲み、微力ながら私なりにその「あるべきようわ」を問い続けていきたいと思っている。
長い間本当に有り難うございました。

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