京都伏見アトリエ遊美術絵画教室(水金土)

ゆらちゃんです。スケッチをしながら妖怪大魔王のおはなしをしています。

「先生。コチコチっていう音が聞こえるね。」

そうだね、妖怪大魔王ってどんなお顔しているのかな。。

で、描いてもらいました。
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それから画用紙いっぱいに親指姫です。

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その横でセンター試験もうすぐの勇介君

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こちらは東京へ↓気分はイラストレーターです。
毅人くん

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甲虫を描きましょう
侑馬くん。

本を見ながら研究しています。

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スケッチはオーブントースター

天くん↓

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夕莉ちゃん↓

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千紘ちゃん↓

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侑馬くん↓

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俐々葉ちゃん、先週のプラ板にUV加工しています。

プーさんに注目です

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裏から色紙を貼って両面をしっかりとキラキラにしました。

はちみつの絵が隠されています。

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天くん。大きな画用紙にウミガメが光の方向へと泳いでいく絵です。

アトリエのみんなのことを見ているような気持ちになりました。

まだだれも見ない大きな世界へ、グングンとおおらかに向かっていく姿が頼もしいです。

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↓そらちゃん

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プラ板とは思えない完成度です。

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自分だけのデザインを描いています

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お休みの中学生が多い中、元気なのは憲洋くん。

高熱でお休みの朔ちゃんもどうぞお大事に。。

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センター試験が無事に受験できますように。

受験生のみなさまのことを応援しています。

第17回高校生国際美術展 入選

第17回高校生国際美術展 審査結果

応募総数 美術 1731点

一次審査入選 美術 150点

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佳作

「残響」

60cm×90cm 紙にアクリル

京都教育大学附属高校3年

生きていることは音楽のような出来事の連続です。 私と世界の間で起こる音色の残響が永遠の「いま」を、そして「わたし」をかたちづくっています。植物をみつめるとき、音楽にききいるとき、自我の殻は破られ、1つの階調に沿っていく、その生命の残響を表現しました。

今橋勇介

京都伏見アトリエ遊 大学受験コース

 

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大学受験コース、スタートの石膏はこの首だけでした。

それで首から下をなんとか手に入れてひっつけました。

新しい教室を始めるのは、ひろう、もらう、つくる。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

一からスタートします。

それで今週の石膏デッサン。OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA

大きく形を見る練習をしました。

今日もこうやって同じ時間を子どもと過ごせることに感謝です。

一年間よろしくお願いします。(母より)

富岡鉄斎ー近代への架け橋ー展

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富岡鉄斎ー近代への架け橋ー展

兵庫県立美術館に、行ってきました。

はじめていただいた賞は、平成元年頃の宝塚市展、鉄斎美術館賞、当時は「田中裕子」でした

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後半の展覧会も楽しみです。

4月17日の記念講演会は松岡正剛氏です。

「鉄斎と山水」定員250名の中に入れますように♪

 

2階の海の見えるテラスもとても美味しくて、感激でした。

鰆のポアレ梅のソース♥

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海の優しい光でした。

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このまま時間がとまってほしいと思いました。

春休みの一日。おかげさまで子どもたちの成長を感じることができました。

帰りは、木蓮と夕日です。とても綺麗でした。

幸せな春の一日。ありがとうございました。

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美術家からみた子育て

6年~7年ほど前にさかのぼりますが、
陶芸の作品を作りはじめたころです。

後半の人生では、いつか自分が棺桶に入っていく瞬間に・・
その時に私は後悔しないように・・
私がいなくても
自分の子どもたちや、アトリエの若い先生たちがきっと迷わないように、
そしてずっとずっとアトリエ遊が続くように。そういうものを残すと決めました。

それはなんというか、虎は死んでも皮残すとか。。。そんなきっかけを下さった先生がおられます。
チェロも演奏されて、現在早稲田大学で教鞭をとっておられる国語の先生です。
先生と「音楽絵本」とチェロのコンサートをしたときのこと。先生のやさしい「アヴェマリア」ふと思い出しました

当時京都教育大学におられた先生に簡単な作文というかお恥ずかしいことに論文を持っていきました。
先生のアドバイスは意外なものでした。
作家活動「マエストロ貴古」からはじめてみてはどうですか?とのことでした。
なぜだかわかりませんが、私がひどく疲れていて、おそらくご心配おかけしたことでしょう。
当時はとても自信がなく、迷い、途方にくれていたのです。

ここにきてようやくですがその続きのページを綴っていくことにしました。

こちらをまとめ、HPなどで公開するのきっと60歳ぐらいのときでしょうか。
それまで最弱のエンジンで、ネガティブに、アトリエの先生たちと、そっと、静かにまとめていきたいと思います。

私の美術指導のはじまりの言葉は長男が考えました。

私は具体的な形で自らのコンセプトを常に実践しています。
その根本的なものは霧ではなく雲のようなものです。
いままで実践したことを三つの視点でまとめます

それは、お母さんとして、美術家として、絵の先生としてです。

マエストロ貴古は作家活動をずっと続けます。

そして同時にマエストロ貴古の新しい1ページをひらきます。

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次男が幼稚園卒園の時に、決めたことでした。
もう中学1年生になります。
子どもたちが支えてくれたこと、ありがとう、、です。

蝙蝠(こうもり)

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マエストロ貴古のペンダントトップが完成しました。

「蝙蝠」コウモリといえば、西洋では不気味な生き物としてみられている生き物ですが、
縁起の良い動物でもあるのです。
中国では福をもたらす動物。蝠→福を連想する、長生きをすると言い伝えられる長寿のシンボルです。
子宝にも恵まれる縁起物だそうです。

「蝙蝠」のように見方をかえれば素晴らしいもの、

悪いところや欠点を見つけて、自分が優秀だとか、自己満足だったり、、
人が長いことやってきた伝統文化の否定なども・・・。
同じものでも、ものの見方や自分の位置を変えたら素晴らしいものはたくさんあります。

それで、そういう見方は子育てにも通じるのかな?とも思いました。
良いところと良くないところは、個性に通じます。

伝統を否定するのは簡単。正しいことが必ず良いことではないけれど、なんでも壊したり否定するのはもう過ぎて、
育てていく、守っていくことができるような見方、やり方を模索するような私でありたいと思いました。

それで、そんな思いも込めてかっこいい大人のかっこいいペンダントトップ。

笑って頑張りましょう。

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ちっぽけな私の、いまだに責任のとれないこんなたよりない「大人」のささやきです。

ゴールはまだまだ見えません。

こうもりくんも笑っています♪もう少しがんばってみましょうか。

「生きているっていうこと」

生きているっていうことは
今 笑っていること
あなたが 笑ったこと
今一緒に笑っていること

今橋勇介作

 

夏休みがおわって・・・

夏休みがおわって・・・そういえば中学生になって、一日も学校を休んでいない次男です。
小児科の偏頭痛の外来受診もおわりました。

中間テストは、勉強の仕方がわからず、しょんぼりの結果となりました。
夏休みサッカーで真っ黒になったお顔を見て、
そろそろ勉強しようということになりました。前期期末テストです。

次男は、何度も何度もやり直して、英語の単語をひとつひとつ。真面目に丁寧にしっかりと勉強しています。
その姿にびっくりです。
たった二日の連休のうちの一日。
10時間も座って(要領が悪く)同じことを繰り返し勉強してます。
「やればできる」とかではなくて、現実に机に向かう姿。たったそれだけ。
すごいな。
なんだか、とても感動しました。

結果ばかりではなく過程が大事。
そういえば 絵と同じ。音楽は楽譜通り演奏することが当然の基本。運動は数字で勝負。
絵はモチーフとの関わりや成長の過程が大事なんだものね。

毎日成長している子どものこと、その尊さを忘れないように、謙虚に自分と向き合うことにしよう。
頑張っている子どもたちに失礼だものね。

反省もしたり。。いろいろあるけれど、目には見えない大きな山をひとつ乗り越えたように感じたのでした。

あせらず、あわてず、しっかりと感じて。
楽しんで毎日を謙虚に過ごそうと思う。

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お散歩で見つけたサルビアの赤い花。
サルビアの花を血の色に例える歌があります。

(サルビア 堀内幸枝・中田喜直)

「美しく情熱的に狂乱の中の幸福」

不思議な歌ですが、毎日の生活の中
少し歌の意味がわかるような気がしました。

こどもの絵(母の場合)

次男は年長(5歳児さん)までこんな絵でした。真っ黒のぐるぐるの絵の次に書いた絵です。
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びっくりです。
当時は心配しました。
冷静に今みてみると、なかなか良い絵ではありませんか。

その時は一生懸命でわからなかったこと。いっぱいあります。

小学校を卒業する頃にはこんなになっています。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

正確にきちんと描いています。
真面目で繊細だからこそ、小さい時に思いっきり自分なりに描けて本当に良かった。

今だからこそ思います。

アートやなぁって・・

春休み以降、中学生1年生の次男とようやく美術館やコンサートに出かけていく心の余裕が出てきました。
次男は、美術館を素通りするタイプの子どもでした。兄がじっくり観すぎるので退屈だったのでしょう。

昨日アトリエで話しました。
「ぼくな、ピカソの絵わからへん。」
半泣きです。「もっとわからへんのは、その絵を見てなアートやなぁっていう人。もっとわからへん」

それで、
「お母さんも本当のことはわからへんよ。わかったふりする人もわからへん。
お母さんと一緒や。それでいいねん。ピカソもそれでいいってさ。」

ピカソの言葉にもあったのですが、故元永定正氏も仰っておられました。

「抽象画を誰もが理解しようとする。
でも鳥の声は理解しようとはしない。」

ピカソの絵、今すぐわからなくていい。
お母さんもようやく陶芸のこと、最近少しだけわかるよ。
少しだけどね。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

中学一年、次男のふしぎちゃんスケッチです。

 

 

京都市立芸術大学 入学式(HPより)

京都芸術大学入学式
母校です。すばらしいのでぜひ。以下大学のHPよりコピーです。

平成27年度京都市立芸術大学入学式を開催

本日ここに集われた200名の学部生,96名の大学院生のみなさん,入学ならびに進学おめでとうございます。ご臨席いただいたご家族のみなさまにも心よりお祝い申し上げます。また,門川大作京都市長をはじめ,美術教育後援会,音楽教育後援会,美術学部同窓会,音楽学部同窓会のご来賓のみなさまにも,ご臨席いただけましたことに,京都市立芸術大学を代表して深く感謝申し上げます。

四月は花の季節です。新たな人生のステージに立つ人びとをまるで祝福するかのように,花があちこちで開いています。花が気前よく吹雪いています。

人類は太古から花を愛でてきました。お祝い,お見舞い,弔いといった,ひとの生老病死にかかわる行事にも花がいつも添えられてきました。人類最古の埋葬の痕跡はすでにおよそ10万年前のものが確認されていますが,5,6万年前の旧人とよばれるネアンデルタール人の墓には,洞窟で咲くはずのない花々の大量の花粉が見つかっており,花が手向けられた最古の例とみなすことができるといわれています。これには異論もあるそうですが,現生人類としては,およそ1万2000年前にイスラエル北部の洞窟で見つかった埋葬の遺跡が,死者に花を手向けた最古の例となります。遺体の下に,脇に,サルビア属,シソ科やゴマノハグサ科などの花が,まるでベッドのように敷き詰められていたことが窺えます。こうしてひとは,悲しみと弔いの気持ちに美しい形を与え,そのことで心を整えてきました。

あるいは歌。農作業や粉ひき,洗い物,繕い物といった日日の労働のなかでも,その単調な作業にリズムを刻み,勢いづけようと作業歌が歌われました。祭には音頭が,愛の告白には相聞歌が,子どもの養育には子守歌がつきものでした。そういう歌とともに,人びとは心を奮い立たせたり,慰めたりしてきました。

このように芸術の原型となるものは,たんなる飾り物ではなく,ひとの生老病死,労働,愛の交換,子育て……と,ひととしてどれ一つ欠くことのできないことがらに,深くかかわるものでした。ひととしての活動に深くいのちを吹き込むものとしてありました。そういう意味では,芸術は,ずっと人類とともにあった,国家の歴史よりもはるかに古いいとなみだといえます。そして,この,連綿として続く《人類史的》ないとなみに,みなさんもこれから本格的に加わることになります。

芸術は,微かな異変に,あるいは動物の足跡のような些細な痕跡に高い感度で反応する狩猟民族のセンサーにもつながる,あるいは身体をとおして宇宙のリズムに深く感応する巫女のセンサーにまで遠くつながる,人類文化の根幹となる活動です。それはまた,これまで連綿と受け継がれてきた人びとの感受性やふるまいの意味を一つ一つ再発見し,さらにそれらを洗練させてゆくとともに,淀みかけた文化に新しい刺戟をあたえ,それを刷新してゆく,文化の駆動力の一つでもあります。

そういう継承と創造をつうじて,芸術はいつも,文化が生まれいずるその場面に居合わせようとしてきました。だからどれほど修練を積んだとしても,いつも初心者の心持ちから離れることはできません。アーティストは,制作の渦中でつねに「アートとは何か」「創造とは何か」と問いつづけています。その点では哲学の思考に非常によく似ています。

芸術はひとの感性や想像力を豊かにするものだと,よくいわれます。言葉にならないものを表現するともいわれます。けれども,「悲しみ」という言葉が悲しみの感情そのものに似ていないように,言葉もまたわたしたちのもつれた思いや体験に新たな形を与えるものです。そういう意味では,言葉も大切にしてほしいと思います。ただし,できあいの言葉を器用に使えることが大事なのではありません。それよりも,言葉の立ち上がるその瞬間を注視してほしい。意味が,形が,生まれる瞬間を,です。

やなぎみわさんというアーティストがいます。本学の染織科を卒業し,そのあとオブジェ,写真,演劇とその作家活動を広げてきて,美術家として世界的に活躍しておられる方です。その彼女が以前,こう語っておられました。

「経験から学ぶことは大切です。でもそれでは小さすぎるんです。」

みなさんは難関を突破してこの芸大に入ってこられたのですから,すでにある技を身につけ,個性的なセンスやスタイルをいくぶんかは持っておられることでしょう。それをさらに磨くために入学されたわけですが,やなぎさんが言おうとされているのは,自分がこれまで育んできた個性らしきものに閉じこもるな,ということです。それは大切なものだけれど,それは小さすぎるということです。

そのために,芸術を志すみなさんには,一見,芸術とは無関係に見えるような本もたくさん読んでもらいたいと思います。複雑な問題の起こっている社会のさまざまな現場にもできるかぎり居合わせてほしいと思います。ひとのみならず生きものの生死から細胞の蠢きまで,さまざまな〈いのち〉の現場に,そして地域での生活から同時代のグローバルな政治・経済まで,さまざまな〈社会〉の現場に,いつも感度の高いアンテナを張り,想像力をつなげていってほしいと思います。美術館やギャラリー,コンサートホールだけがあなたがたの活動の場所ではありません。芸術が《人類史的》ないとなみであるということは,それがどんな時代にあっても人びとの暮らしの根底で疼きつづけているということだからです。

芸術をつうじて,おなじ時代を生きる人びとの歓びや悲しみに深くかかわるということ,そしてどんな苦境のなかでも希望の光を絶やさないこと,そういう使命もアーティストにはあります。みなさんにはそういう使命の大きさ,重さにあらためて心を震わせながら,学習に取り組んでいただければと願っています。

京都市立芸術大学は,明治13年に画学校として創設された,芸術系大学としては全国でももっとも長い歴史をもつ大学です。135年におよぶその歴史のなかで,京都市立芸術大学は設立当初より,日本の伝統芸術を継承・刷新するとともに,日本の近現代芸術の屋台骨を支え,世界的にも高く評価されるアーティストたちを数多く輩出してきました。その意味では,京都市立芸術大学は,京都のみならず日本の芸術文化のきわめて重要な火床の一つであり,また世界への発信基地でありつづけています。

それに京都という,芸術文化の歴史的遺産に恵まれたまちで学ぶことにはとても大きな意味があります。先に,芸術は《人類史的》ないとなみだと言いましたが,文化遺産の数多くあるまちで学ぶことは,いまあなたがたが生きているこの時代を見るそのまなざしを,遥かに大きなタイムスケールへと拡げてくれます。また,このまちには,そこかしこに職人さんたちの技芸が今も息づいています。その技,その材料や道具の工夫から学ぶ機会にとても恵まれているのです。

京都は文化芸術都市といわれます。それは歴史的文化遺産が多いというだけでなく,産業や観光,宗教や教育,そして地域での暮らしなど,京都市民の日々のさまざまの重要な活動に,横串のように挿し込まれているからです。制作や演奏をつうじて,このまちに活気を与えるのも,大学のみならず,まちに育てられるあなたがたの大切な「お返し」となるはずです。

来週からいよいよ授業が始まります。これからの本学での学びがみなさん一人ひとりの未来にとってかけがえのないものとなることを願いつつ,みなさんへの私からのお祝いの言葉といたします。

 

平成27年4月10日 京都市立芸術大学学長 鷲田 清一