菊の花を親子で描きました。
↑途中経過です
↓完成
憲洋さん。花の描き方、色の重ね方、工夫出来たかな。
石膏デッサンも中間トーンの優しい光を感じるように練習です。
透明水彩絵の具の順番と、パレットです。
お父さんの30年前のパレットは重く、色も濁っているので新しくしましょう。
こちらが新しいパレット。
写真、白の位置が黒の横で間違ってしまいました。
白は下段。黒と離して、、でした。ごめんなさい🙏
虹のように色相順。赤に橙、黄色に緑、青に藍色紫よ。という歌ありますね!
そんな感じ。
ほぼ一本。ぎゅーっと出します。
表面を少し乾かして使います。パレットはアルミの軽量のもの。色は30色入ります。一番大きなものではありません。なぜって、2つ買うからです^^
全部で60色使える二段パレットです。
自分なりにカスタマイズしていくのが、楽しいのです^^
高校2年。まずは道具から!
そして、柿はスケッチ。
石膏デッサンは大きな像に挑戦です。
立体感を特別に練習したり、なんでも描く。いつでもどこでも、誰とでも。
受験生だからといっても特別なことではありません。
気負わずのびのびと描きましょう。
夏休みもすっかり終わって、9月 もう後半に。
次男と二人のささやかな絵の勉強として、自宅でも一緒に絵を描くことになりました。京都伏見アトリエ遊、東山特別講習。ということにします^^
モチーフは、スプーン、そして、京都大原の道の駅で購入した南瓜です。
自宅の部屋の端の机が小さなアトリエ というわけです。
次男より
国公立大学の美術の大学の合格なんて、無理って。みんなそんな目でみるわ。学校では笑われてんねん。お母さんは大学受験の絵の先生やったんやろ。俺たちのためにも、伏見教室頑張ってくれてんの知ってるで。お母さんが弱気でどうすんねん。
こんな一言から始まりました。
我が家のささやかな目標。「芸術で生きる」です!
親子で目標に向かっていこうと 決めました。
まずはスプーン一本を描きました。
そこで、お父さん(夫) 登場です。
「手首の力を抜けよ。スプーンは感性で理解するものじゃない。構造で理解しろ。」なるほど。父親の一言が効きます。
線一本が大事だと伝えます。緊張感を持って絵に接する事。
鉛筆の削り方上手になってきました。
簡単なことのようですが、家で描くって案外 誘惑が多く難しいですね。
そして南瓜です。
大きく形を捉えることができました。
こちらはまだ途中です。
この絵を描きながら、美術館に行きました。
本物の絵を見たり、お昼は外食したり!
これこそかけがえのない時間だと思います。
丁寧に一つ一つ。最後まであきらめない。
さて、どこまで頑張れるか我慢大会。
次は影を描くそうです!完成はもう少し頑張ってからです。
描き終わったら
美味しい南瓜のお料理もできたらいいな(^^)
大丸ミュージアム京都にて8月21日まで
カレンダーか教科書みたいに有名な作品がおしげもなく並んでいて、写真撮影が可。有名な作品の前に立って写真を撮る自分が信じられないという気持ちになります。
アトリエ遊油絵講習のために技法の説明の勉強を兼ねて。
油絵独特の厚み、深み、絵具のもりあがり。独特の匂い。絵具の輝きとか艶。
西洋に対する憧れそのもが油絵だったことにも気がつきました。
リマスターアート
では、写真の一部を。
アングル
水の精霊は水面に立って
働く女に人たちの日常に光を。。
牛飼いの少女
ミレー↑
この絵のネックレスが当時の女の人の娼婦の日常を感じさせることが問題になったそうです。
オリンピア
マネ↑
モネの白ばっかりの絵。
雪の絵の中ににぬくもりがあるという解説がとてもわかりやすかったです。
ルノアールは有名です。肌にブルーを足していることがまるで死んでいる人のようだと酷評だったそうです。そういえば、赤ちゃんの蒙古斑みたいかな。
このころ、チューブの絵具が開発されて屋外、野外で裸婦を描いたそうです。
ドガの踊り子達の写真です
ルノアール
ギュスターブモロー
ゴーギャン
セザンヌ
ゴッホ
全部で60点です。自由研究にもまだ間に合います。
解説にはパリの地図もあってわかりやすいです。
「この絵の中のルノアールの大好きだった人はどの人でしょう」というクイズもありました。
後に赤い帽子の気さくな笑顔の方と結婚されたそうですよ。
気楽にデパートの展覧会に
いかがでしょう^_−☆
朔ちゃんのスイカのスケッチです。
京都伏見アトリエ遊では、今橋裕子の絵の教室でもありますが、
新しい指導の試みとしての場でもあります。
今日は私がピアノを弾きながら、歌いながら描くという楽しい授業です。
絵に、表現力に点数、比較、優劣はないのです。
心豊かに楽しく大きく、成長して欲しいと思うばかりです。
必要なのは、導き方ではないでしょうか。
こんな気持ちになったよ。っていう絵を描いてくれた朔ちゃん。
楽しかったね。
大学受験生の絵だけを指導する 画塾、美術研究所、ではなく。
本当の本物になって欲しい人たちを指導する場です。
学習機能障害などの困りごとがあっても同じことです。
↑勇介君デッサン途中です。
世界でも通用するきちんとした「個」を持って一緒に成長し合っていきましょう。
朔ちゃん、パレットナイフを使いました↓
新しい発見、新しい出会い、感動がありますように。
感動することは本当に素敵ですね。
U
絵を学び、何かを発表するときに、必ずだれにもできない自分だけの世界を展開しなければならない というようなオリジナリティにこだわります。
普通は 人まねをすれば馬鹿にされます。
そのためつねに評価の対象になるのは、オリジナリティである。
オリジナリティこそ価値をつくるとも考えられています。
しかし必ずしもそうとは言えません。
ジャン・コクトーは「私が一番嫌いなのはオリジナリティだ」と言っています。これは、オリジナリティが競争と差別の上ばかりに成立するからです。
それにもっと言うなら、いったいどこからどこまでをオリジナリティーと決められるのでしょうか。
いちがいには・・区切りがつかない。
私は、新しいものをつくるとき「ここにしかないものはない」と思うようにしています。
また、そのようにして、日常を見ています。
子どもの時からお手本がないとできない。何も自分の力ではかけない。そんな子どもでした。
いまなら、それでいいと思える。
芸大生の時からずっと思っていた。
私には強烈な個性がない。
でも、個性っていうのはオリジナリティのことではない
オリジナリティのない私は、主人の技術の「取り合わせ」が新しい作品を作りました。(お茶の世界では「取り合わせ」というそうです。)そのような気持ちでやればいいのだと思います。
一生懸命生きる結果そうなったことが真実です。それが「信」でした。
これが「マエストロ貴古」で学んだことでした。
ここからは長男の話です。
「稽古と練習はちがう。」先代をほうふつさせる、なにかの面影をほうふつさせる。稽古はそういうことで、それがほめ言葉なんじゃないかな。
だから「うつし」でいいのではないのかな。「うつし」という言葉に 日本の文化の秘密があるのではないかな。
私もそれでいいのだと思うようにします。
「神仏たちの秘密」松岡正剛
より
折り紙について
折り紙ってどういう感じで思われるでしょう。
なんだか、創造性(クリエイティブ)から遠いような、たとえばお料理や手芸みたいに思われますでしょうか?
昔こどもが言葉ときこえの教室に通い感じたことがあります。
指先を使って 一つ一つゆっくりと先生と何かつくっていくと、リラックスするというのか、
ふしぎとその過程に、安心感を感じました。
勇介は折り紙が嫌いで、自分なりのやり方でないと納得しないので、先生の指示を全く聞かずに工作をしていました。
それでも、先生は根気強く見守ってくださいました。
そういう経験からですが、私も折り紙をしてみようと思いましてつくってみました。
こちらは、小学生の女の子。うまいなぁ~。
それから柘植先生
おおきな指で、私よりずっと上手だ。。
これは小さい折り紙を60個つくって、5枚の折り紙で一つの花。12個で(12面体)のお花になる。
次男作です。クリスマスに間に合うかな・・。
折り紙の効用としては、
(京都伏見アトリエ遊では)
1、情緒が安定する。
2、誰とでもすぐにお友達になれる。
3、海外でも自慢できるらしい。(生徒の話によれば)
4、リラックスする。呼吸が安定してくる。
5、信頼関係が作れる。作り方を知っていると質問してくるので先生としてもうれしい。
6、子どもがおひざの上にのってくる(アトリエのこどもたちだけかもしれないが・・)
一生懸命つくっていると、ついつい子どもを私の足の間に挟んで、近い距離で熱心に作ることになる。なんて失礼な先生だろうか。すみません・・。
そういうことを経験しあううちに・・
不安やイライラ。ストレス解消になっていきます。