俐々葉ちゃん
泡だて器のデッサンをしました。遥ちゃん なんだって描けます。
粘土をしています。遥ちゃん。
千紘ちゃん。猫を描いています。
そろそろみんな今日から夏休みかな。毎日充実した一日を過ごしてね。
アトリエ遊 美術研究所の受験生や中学生クラス。はじめはたったひとりの先生に一人の生徒からはじまりました。ひとりの先生は私で大学院在学中です。
そのような状況でしたが、私の基礎をつくってきたように思いました。(自慢でもなんでもなくこれでよかったとは決して言えませんが。。)
「先生、アトリエは井の中の蛙や。ぼくは大きな予備校に行く。」「いいよいいよ。ごめんね、小さい学校でごめん。」
学生の私にはがっくりと力を落としては京都芸術大学の大学院へ通い、東大阪と京都、自宅の宝塚を往復しました。
未来の見えない大きな不安とこのままでよいのかという自問自答の繰り返し。
あるとき、アトリエで伝えたこと
「井の中の蛙大海を知らず。のあとがあるんだよ。されど、っていうところがあってね。。されど、空の青さや星の美しさを知る。ということを知っている?」
そういう強がりみたいなことを言ったことがありました。
その意味や解釈はいろいろあるだろうけれど、私は勉強というのは深く楽しくまたどんどん広げていくこと。広げていって、それでまたそれを深めていくこと。勉強は繰り返し。
すぐに答えや結果を自分以外の他に、たとえば海外に求めるけれど いまの現実を深めることや置かれている状況を充分に楽しまずに外に求めても同じことの繰り返し。それが勉強なのかと思います。
社会に出ると、正解は先生が教えてくれるわけでないし
私自身も教室で、子どもたちから学びます。
講習会や勉強は必ず生活の中に取り入れるようにしています。
今はまずはこれです。
金継ぎ講習です。
生漆にとのこ、また 赤呂色漆に金色をつけます。表と裏、それぞれ絵になります。いのちが吹き込まれていくようでうれしいです。表と裏です。
割れたものこうしてまたよみがえるようなことができればいいな。失敗しても大丈夫。またいつでもやり直せる。
赤色の漆に金
黒色の漆に銀
どちらも楽しみです。
暗い気持ちの時 暗い絵になるでしょうか?
弱い人が弱い絵を描くでしょうか?
もう駄目だ・・これが最後だ。という人が絵を描くでしょうか。。
子どもにとって絵は表現であり、自分を映す鏡のようなものです。
大人の表現においては、自分が弱いということを表現できる作品を作る人は強い人です。
暗い配色だからと言って、暗い気持ちだとは限りません。
その日の状況もありますが、絵はストレス解消にもなります。
いろんな色を混ぜると楽しいです。赤と緑と白を混ぜるとどんな色?オレンジに緑を混ぜると?混ぜれば混ぜるほどグレイになります。
絵を描く人、また、自ら筆をとる人(描かされる絵ではない)は生きる元気にあふれています。
もう駄目だという絵、何かを訴えたい人、つらい人の絵はわかります。
文章を書いて 描きながら乗り越えるような、そういう日記のようなもので、子どもも大人も絵を描くとすっきりしたりしています。こどもがたとえば人殺しの絵を描くから将来恐ろしい人になるのではなく、その人の目は明るいということがあります。その子は、みる人をびっくりさせようとか、おもしろいと思わせたいとか、興味を向けたいとか・・そういうことが多いです。
子どもの絵の中には、昔 留守番がこわくていやだった。階段からおちてこわかった・・・などということを自然と描いてしまううことがあります。自然とそういう絵になります。何とも言えない絵やつらい絵も、もちろんあります。肌で伝わってきます。それでも、絵に描いたときはすでにその過去をふりかえっている状態だったりして、つぎに描く絵は超ポジティブ。そんな時が多いです。一枚ではわからない。次に何か新しいことに向かっていく、次のページを開くとき、少し振り返ったり、熱を出したり・・そんなことを絵の上でしていきます。
子どもにもいろいろなことがあります。一枚の絵だけで決めつけないでほしいと思います。描いているときの表情、会話が大事です。絵以上に大事です。絵や工作がストレス解消の場として、また自分自身のストレスなどとうまく付き合って、困難から自ら乗り越えてほしいものですよね♡(がんばれ)