私の名前は、ふしぎちゃんのふーちゃん
今日はママと京阪電車にのってね、お兄ちゃんの学校に行くの。
お兄ちゃん。合唱コンクールの歌の歌いすぎで、最後に酸欠で倒れたらしいのww
お兄ちゃん、息を吸うのを忘れたのかしら。。
まあ、そういうところがお兄ちゃんのいいところ。
おにいちゃんはいつも燃えていて、がんばらないことがむつかしいらしいわ。
わたしにはわからないけれど・・優勝っていうのがいいみたい。
明日も応援に行かなくっちゃ。
6月です
この季節お茶を淹れるのにいつも以上に気を使います。
ご存じの通り茶葉は湿気を嫌います。
葉が湿気を持つと小川流の究極の味が滴的の味がぼやけてしまいます。
この季節 雨の降り方 湿度の程度などなど自然の声に耳を傾け
湯加減をし、最高の茶味を得たいものです。
気温が25度以上の夏日になれば、
小川流の夏のお手前 冷淹手前の登場です。
このお手前は6月22日(日曜日)
近江神宮煎茶献茶祭のお茶会でご覧いただけます。
「才をつくしいろんな思いをかさねて大きな花を咲かせるといいですね。」と言ってくださったのは今橋治楽先生です。あえて身をつくしではなく、私が頑張っている姿をすがすがしくさらりと応援してくださった先生のことがとっても素敵でした。
このお菓子が今日の教室の色の主役。鮮やかなグリーンは「青かえで」です。浪川さんありがとうございます。
東山清水道 にある浪川菓舗さんのお菓子です。おいしいです。
四代貴古の友人で、子どもたちもおせわになっているお菓子屋さんです。
感覚の鋭さ。これは我が家の兄弟に当てはまることです。
たとえば 視力検査ですが 視力がよすぎる。2.0どころか・・たとえばどこまでも見える。何でも見える。
すごく広いホールに立って歌っても、お客さんすべての顏が全員大体見える。どこにだれが座っているか。
それから、聞こえすぎる。小さい音まですべて聞こえる。においにも敏感。
これはどうかとも思うのですが、決して成績がよいとか勉強は関係ないようですが。
兄は本の暗記。文章の記憶。(心配するぐらいに正確)次男も映画のセリフの記憶と音楽の歌詞の記憶 (こちらも正確)何度もいうようですが成績とは関係ないのです。
それで、切れ上がった感覚に三代貴古のデザインを思い浮かべます。これは遺伝だと思う。
私もかなり敏感な(そしてのんびりした)子どもだったので、どうしようもないことです。
少しの間、子どもの様子をみて付き合っています。
光 音 におい 紫外線 すべての刺激が頭痛になります。
感受性が強い。それはとっても良いことだと思うようにします。
鋭い感受性と繊細な気持ちあってこその、三代貴古の器。
子どもたちから、貴古窯のデザインの鋭さと美しさを再び感じます。
こちら フチ子さんと貴古窯の器です。のんびりいこう。毎日焦らずに。
いつでも、どこからでも、スタートできる。がんばろうねと、自分に言いながら。。
どうぞ皆様も元気で五月をのりきりましょう♪
主人は大学を卒業してから「煎茶道具」を学びました。それはそれは細やかな作業で、お茶席で使えるまでに何年もかかりました。「このお茶碗はとてもいいものでとても使いやすく、軽く、形・重さがすべてそろっている。」と言ってくださった、今橋治楽先生。先生(姉)によって本物になっていったように感じられました。
お菓子は「花しょうぶ」
お花は
なでしこ 紫蘭 ほたるぶくろ
環境や家族の思いが重なって 芸術が継承されていくことを
子どもたちが見ています。
大事に使って、本物にしていく気持ちを感じます。
お父さんが作ったものを、教室で使っている。
子どもたちはどんな気持ちで見ているのでしょうか。
主人の仕事を家族で応援していける教室は、とても充実しています。
皆様に感謝です。ありがとうございます。
子どものお絵かきにグレードをつけることにはあまり興味がありません。
必要な時には デッサンに、100点満点の30点から95点まで細かくつけることもできます。
「まちがいさがし」という作業ともいえます。
たとえば ○×○大学の受験で最低点だった作品が ×○○大学というもっと入学しにくい大学で最高点だった人の絵について。
その絵は、引っ越し前の深江教室に隠していました。
もう緑橋教室に引っ越すときにはなくなっていました。
その絵。どう見ても、ぐちゃぐちゃな絵です。なぜかというと、全部木の棒で描いているからです。割りばしや、鉛筆の裏、筆は使いません。
ただ一つ良いところがありました。10メートルから20メートルほど離れてみると、人の顏やきちんとしたモチーフに見えるんです。本当です。(以前ご紹介しました)
審査の時に離れてみてくれる大学では最高点でした。
気持ち悪い絵と、素晴らしい絵は紙一重です。
天才も紙一重です。
これから世の中を変えようという人は、紙一重。
それを、単純に点数に置き換えるのに 審査する人の欲徳。ものさしをつくる人になぜか、ちょっと しょんぼりする私です。
もっとあります。作品を天地ひっくり返したら、最高点になった絵。
公募展などでも、裏返したら(裏面)のほうがよかったとか。にじみが絵よりよかったとか。
そのような絵を大事にしていましたが、今はもうありませんが・・。
もし、自分の子どもが 何かの世界で紙一重だったらどうでしょう?
「卑屈になってしまたら負け。」
息抜きが必要です。
今すぐに勝たなくてもよいと言ってあげようと思う。人生はながいのです。
この子の持っているものは最高で だれにもまねできない素晴らしいものだと信じて応援して当てはめることが私の最大の力を発揮するところです。
(自分のこと、自分の子どもは全くダメなのですが)
人生で一番大事な時まで、やる気スイッチは押さなくてよい。