マエストロ貴古という名前をつけるとき
四代貴古は京焼の職人の仕事をしっかりと受け継ぐという気持ちがありました。(職人=マエストロ)
私は、この人がいてくれてよかったと心底思ってもらえる人になりたいという気持ちがありました。
そのふたりの想いが「マエストロ貴古」になりました。
私は「こんな絵を教える、このように描こう」絵の指導において何かを強く求めるだけでもなく、
「陶芸はこうあるべきだ」とか、そういう教えでもない。
何かの、誰かの心の支えになれる存在になりたいと強く思ったのです。
ただ、合作で「マエストロ貴古」といっても無名で、
受賞歴もなく、無所属で、師匠をもたない私たちの作品(ふしぎちゃんママ)をいざ作品を発表するとなると・・
なかなか、難しく・・賛否両論、むしろ反対の方が多く、正直困りました。
(人形をとったら入選させてあげる、かわいすぎる洋風のものは困るといった批判は山盛りです。)
それで、「京都陶磁器会館」が一番でした。
自然光がいっぱい入り 天井高く、バス停の前にあり、ガレージもありました。
(初代貴古が発起人の一人でもありました)マエストロ貴古には絶好の場所でした。
五年前はかなり思い切った選択だったのですが、私たちのとって一番の場所でした。
展示方法についても同じです。
今は作品の並べ方や作品展示方法見せ方が、作品と同じぐらい大事になってきています。
でも、やはり作品の力が大事だという気持ちは忘れないようにしています。
また、このような方法も考えてみました。
アクリル板に絵をはさんで、アクセサリーをならべてみました。
「春夏秋冬」
このアクセサリーも陶磁器会館で展示することによって育てていただきました。
綺麗になった陶磁器会館、明後日リニューアルオープンです。