真っ黒の絵 3

もし、問題があるかどうか考える絵と出会ったら注意することですが、
1・画材の研究
(クレパスの特性)
2・作者の性格・気質・色の見え方
(色弱等)
3・絵に失敗はないということ
(見方を変えてやる)
まずは、我が家の子どもの場合ですが、
1・画材の研究
クレパスの特質です。
クレパスは重色に向きます。
色を重ねて重ねていろんな表現ができます。
でも、はじめに黒を使ってしまうと、水彩画のように あるいは工芸のように 縁取ってなかを塗るわけにはいかないものなのです。そこは大事なところです。
マンガ的に描くには適しません。
素材を使いこなし使っているうちに、失敗すると気が付くことがあるようです。
たとえば、
黄色の上に赤ならきれいな赤。でも赤の上には黄色。赤が勝ってしまう・・。
そうやっていろんな色を重ねていくと、最強は 黒。
TV○○レンジャー等の戦いもの、戦隊シリーズは中央センターに立つ、赤が主役。赤はかっこいい。「強いもの」 「最強」に弱い次男は、クレパスの最強。その黒の魅力に気が付いたのかもしれません。
それで、実験開始。という順番になってるとも見えました。予想にすぎませんが・・。
要するに、注意することは、(兄が描くように)鉛筆が黒なので、黒で縁取ったらクレパスはあとがたいへんだということを教えてあげないと可愛そうな絵になってしまいます。かわいい顏を描くつもりが、まだらな顏です。マーブル模様です。その素材の特性とはそのようなことです。
にじみ(水彩)ぼかし(パステル)もできないクレパスは、塗り重ねることでその素材が生きてきます。
描き方を教えるっていうよりは、その素材(描画材料)の使い方の手ほどきが必要で、こうやって使うとより楽しい。ということがあるという簡単な例があれば子どももわかりやすいと思います。
2・作者の気質 性格 色の見え方
次男は現在 10歳になっても、気質はかわりません。黒を画用紙に使うと画用紙の白がちらちらとみえる(ぬり残しが、)許せないというところがあるようです。色鉛筆の黒 その上に金で描いています。この黒の塗り方はいまでも同じです。P1014750.JPG
色鉛筆でもやっぱり黒い缶は真っ黒。黒光りしています。
黒光りするまで塗っています。立体感も少し出しているのか、まわり(左右のまわりこみ)は薄いままというところも4年生らしい絵です。
自分の思い通りになるまで、何度も何度もやり直すところも、幼稚園時代から5年間おなじです。
絵は 作者の気質 性格などがよく出ます。
個性は、変えられないということです。感じよく「ぬりえ」をすることができない。情熱がありあまっている。
ですから、気をつけたいのは絵は自分自身『分身』だということなんです。否定されるとさびしいです。
「もっとうまく描きなさい」と家族から言われるのは、絶対にダメです。ではうまい絵って何?ということになってしまいます。そうではなくて、
「そのままのあなたでいい」
って言ってあげてほしいと思います。
たとえば色弱、弱視、・・見え方に感じ方にちがいがあっても、そのなかで一生懸命描いたものに間違いがありません。それをしっかり受け止めないで次はありません。親でしかできないことです。
点数評価は学校の先生にお任せしましょう。私は母親であって、アトリエのお絵かきの先生ですから、0歳から大学受験 大人の方まで見ています。一枚の絵で生きることを共感して、ほめたたえて個性を伸ばすことの方が大事です。
3、絵に失敗はない。
先生には・・
失敗した絵を、最高によく見せる方法をいくつか知っておくと便利です。
子どもは「失敗した~。」というときに「たすけて~」っていう時に、
クレパスなら 塗り重ねでうまく回避できます。
あるいは絵の向きを変える方法があります。
ひっくりかえしてみると動きが出たり、向きを変えるとよくなったりします。
そういう時に、作者との合意のもとにお手伝いしてあげると、信頼関係もできます。
先生の指導にそって、作品を最後まであきらめないで完成させるように、
上手く信頼関係が築けるといいですね。
お母さんお父さんには・・
失敗したところに、分析しないこと。また、責めないこと。
絵の具、クレパス、道具が足りているか、環境を考えるのが親の仕事だと思うようにしましょう。
なにかほかのことで心配していないか・・という気配り。
(自分への反省、母親としての不十分さを感じながら付け加えました。)

真っ黒の絵 2

次男は実際には、真っ黒の画用紙が10枚ほど。春から夏そして、秋ごろまで黒の絵。幼稚園では先生の指示がきけていない様子でした。
描き方は自由。すきに描いていい。
だから、黒。
私は、一度 拒食症 の子どもに絵を教えていた。拒食、巨食の繰り返し、入院。
その女の子の絵は一目みただけで、その子のつらさがいっぱい。
すぐにその精神状態の不安定さはわかる。
自分のありのままを出せてそれを認められる、そのような先生になりたいと思いました。
私には医学的なことはわからないけれど、一緒に絵が描ける時間を大事にしてきました。
写真は残っていませんが、かわいらしい現在よく見るキャラクターの絵に似ています。細い体の目が大きく少女マンガの世界。その世界を共有することが対話、コミュニケーションでした。
さて、自分の子どもの絵ですが、元気いっぱいの絵だと思いました。
エネルギーがあって、なんども繰り返すことができる性格。
同じ行動を繰り返すことの快感。楽しそうに思えました。
描いているときの表情で確信を持っていました。
その理由として
「色そのものに病的な色はない。」
たとえば紫は高貴な色。
格の高い色。情緒不安定な色ではない。
黒も同じ。悪い色なんてない。
色はその色そのもの1色では存在しえないもので、隣り合う色どおし、法則に当てはめると、その色の面白さの再現が難しいもの。
それでいて色は、科学的に裏付けられたものである。
きっと意味があって、黒になっていく理由はあっても、
描くことで解消して 健全な方向にもっていくために、のびのびと自由に描く
でもそれだけではない、自由に描くための手ほどきは必要だと思いました。
 

真っ黒の絵 1

4歳から5歳まで書きつづけた絵です。
次男の絵が出てきました。これ以外は真っ黒でした。P1014751.jpg
画面いっぱいに、真っ黒でした。
片腕の右手の付け根を中心とした同心円の繰り返し。
そのスピード。その力。
この絵の上からまた黒を重ねます。
はじめはカラフルな色をつかっているようです。
途中はこの部分でカラフルなはず・・。
P1014752.JPGでもまた黒になってく。端っこはこんな感じ。
保育園から幼稚園に、そして私も仕事をしながら幼稚園の送迎で、疲れ果て、この絵。
先生に呼び出され、
もう少しゆとりのある生活に・・
というアドバイス。
それができたら、悲しくない。
それができないから、悲しくて泣ける毎日でした。
絵の先生の子どもなのにね・・。
というところから、始まった「子育てと絵」の話です。

職業体験

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
職業体験。U介さん 和菓子の販売に決まりました。大きい会社の有名な京都の和菓子屋さんです。
そのお店にお正月こっそりといってみようということになって、「太秦」から地図を片手に行ってきました。
駅から8分。歩いていると踏切があってその向こうに看板が見えます。でも地図のところには家がびっちり建っていてとても行けそうにありません。30分ほど回り道。そしてウロウロしていました。そこへ軽自動車が。「どこいきはんの?」「のせていってあげようか?」
知らない方に親切に声をかけていただきました。
そうこうしていると もう一人の方が「わたしがとっておきの抜け道教えてあげよう。」といってくださったので、軽自動車の方もそのほうがいいのではないかとおっしゃって、・・
その、とっておきの道をあるくことにしました。
そのとっておきの道は、なんとなく 誰かのお宅の塀に沿ってちっちゃい川をわたり、
少し不安になったころ、突然目の前がそのお店。
そのお店はとてもきれいなお店です。
二人でほっとして、帰ってきました。
中学2年。もうなんとなく大人。
そしていつか就職するのか・・そうか。がんばらなきゃいけないな。と、親にとってもよい体験でした。
そんなたよりない「いまはし家族」ことしもよろしくお願いします。
いまはしゆうこ

へびのお話より 1

菊石姫の物語http://yogokanko.jp/node/61

余呉湖より二丁余り西、桐畑口というところに桐畑太夫という都からの落人が住んでいたました
弘仁二年の春の終わり、太夫最愛の一人の女の子が生まれました。
菊石姫と名付けられたこの娘は、7、8歳になると次第に蛇体の姿となったので、
太夫も家に置いておくものではないと、屋敷から一丁余り東北の屋賀原というところに仮家を建て、捨て置きました。
食物も与えられなかったので、菊石姫のお守係の下女が憐み、自分の食物を与えて養育していました。

18歳になると菊石姫は、ここにもいられないと、ついに湖水に入ったのです。
そのとき、片目を引き抜き、「龍の目玉は宝や金では求め難いもの。大切にしなさい。」と長く養育してもらったお礼として下女に与えました。
形見の品として大切にしていた目玉だったが、やはり病を治すのによく効き、
その他にもいろいろ不思議なことがあました。
このことが上の人の耳に達し、差し出すように命じられました。
下女は仕方がなく差し出しましたが、龍の目は両眼とも持参せよとのご上意で、片目しかない訳を話しても追及は続く。

耐えられなくなった下女は、湖の西、新羅の森から「菊石姫、菊石姫」とよびました。
すると、にわかに湖水が波立ち、水を左右に分けて乱れた髪がやって来ました。
下女は「両眼を差し出せねば、火責め水責めにあう。」と訴えた。
菊石姫は「養育の恩は深い。自分は両目を失っても命の別状ない。しかし、盲目となったら時刻を知ることはできないから、湖水の四方にお堂を建て、時を知らせる鐘をついてくれと、太夫に伝えてください。」といって目玉を抜き、石に投げつけました。
目玉のあとが石に鮮やかについた。この石を名付けて「目玉石」といいます。

目玉石のそばに、長さ3尺横1尺ばかりの石があり、これを枕に菊石姫はしばし休みました。
「これからは私を呼んではなりません。もし会いたくなったら、この石を見なさい。」そういって湖中に消えていきました。
この石を「蛇の枕石」と呼んでいます。

両眼を地頭に差し出した下女は助かったが、菊石姫の母はこのことを聞いてから病の床につき、ほどなくしてなくなりました。
それからは太夫も病弱になって、菊石姫のことを案じ、湖畔の7つの森にお堂を建てて、時の鐘をつかせました。
菊石姫が盲目となってより、水青く晴天の日でも底が見えなくなったといいます。
~余呉観光情報 菊石姫伝説 より~
これが新作のふしぎちゃんです。
P1014538.jpg
これは新年の器です。私の子育ての 絵本の読み聞かせには一つの想いがありました。
私は夜寝る前に、子どもたちに自己犠牲の本は読まなかったのです。
だから、マッチ売りの少女 シンデレラ を知らないで育った子供たちです。
本能的に避けてきました。
ふしぎちゃんが、へびに話しかけています
「君は菊姫だんたんだね。」この深い池に住むへびに話しかけています。
それで真っ白に金で描かれる菊がとても美しく、描いているうちに、ふと「へび 菊」で検索しました。この話を知っていたらこんなデザインにはしなかったと思いました。かわいそうに・・8歳でへびになって捨てられた女の子の話。8歳か。涙・・。
ちょっと、筆が止まり困りました。
明るく前を向いて取り組もうとしている。
子育てと、陶芸を模索している私にはとてもつらい気持ちでした。
それで新しい絵を添えることにしました。菊の花の中を飛ぶカラフルなへびとふしぎちゃん。そして下描きができました。彩色したいと思います。P1014540.JPG

石膏も使います

子どもたちと一緒に石膏どりをします。
わんちゃんのブローチにしようとしています。まずは原型をつくります。P1014196.JPG
それから、石膏を流し込みます。P1014197.JPG
ひっくり返してP1014201.JPG
あとは、この形に粘土を押し込むだけです。
そうすればこの通りです。素敵でしょ。
P1014403.JPG
ワンワン ワワワン。わんわんわん。って聞こえますね。

えと展

おかげさまで えとパーティー えと展 今年も開催することができました。
伏見教室の今橋  柘植先生 憲洋です。P1014389.JPG
御礼申し上げます。

えとパーティー

こどもミュージカル
 「 魔 笛 」
モーツァルト作曲の「魔笛」を
えとパーティーオリジナル構成にした
ミュージカルです。
来年の干支である大きなヘビも
登場します!

美術の先生と音楽の先生が力をあわせてがんばっています。
よろしくお願いします。