自画像完成です。
浪人してから半年が過ぎました勇介くん。
毎日が自分との戦いです。
自画像を描くことで、表現と似顔絵の違いがわかったかな。
いつの日かこの絵を懐かしい思う日があるかもしれませんね。
自分の将来しっかりと考えて進路につなげてください^ – ^
充実した一年になるように。
京焼・清水焼 貴古窯
9月9日土曜日です。
旧暦ではもう菊の花が咲いていたのですね。
まだまだ暑い京都です。
今日は重陽の節句です。
五節句の一つで、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれます。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれるそうです。
グラジオラスの黄色も美しいです。
朝晩は秋の気配も感じられます。
今橋家には試練の一年でした。
長男の受験もありました。そしてお家元まで、、
その中でも凛として頑張ってこられた今橋治楽先生。
去年10月の三代貴古のお別れにはお家元、前家元夫人、お社中の皆様方、たくさん方がお別れのの挨拶に来てくださいました。どれほど心強かったことでしょう。。
京都伏見アトリエ遊お煎茶教室はマンションの一室で始めた「治楽会」がスタートでした。勇介が産まれてすぐです。いつか良い教室があればと探して、小さい憲洋の手をつなぎ幼稚園の送り迎えの中で教室を探し、伏見稲荷の小さなお家からのはじまりでした。憲洋も15歳になりました(^^)
10年皆様のおかげです。ありがとうございました。
不調法な私ですが今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
裕子
マエストロ貴古の世界展
名古屋、丸栄デパートにて
29年9月14日→9月20日
最終日は4時終了
京都芸術大学出身の夫婦によるコラボレーション、マエストロ貴古。
今橋裕子の芸術感性を京都貴古窯4代目・今橋剛和が昇華し制作発表致します。
今展も優美を極めるラスター彩による作品など、圧巻の世界をお愉しみくださいますようにご案内申し上げます。
今回の展覧会では三代貴古の作品を四代貴古が仕上げた作品もご高覧くださいませ。
写真はイメージです。
実際の作品は現在追い込み中。
笑いあり、涙ありの一年でした。
お煎茶のお道具も剛和造の新作も展示させていただきます。
丸栄デパート8階
ギャラリーエスパス
052-264-1211
お待ちしております。
四代貴古 今橋剛和
今橋裕子
9月
六世家元が旅立たれて一年。皆さん各々に思い出のおありの事と思います。今日は満月、空を見上げながら故人を偲んで頂ければと思います。
以下の文章は六世家元を偲び私が書いたもので「三清会通信」に掲載されたものです。
「中国旅行にご一緒して」今橋治楽
御家元と行く海外旅行はいつも日本からの添乗員は無し。その分の費用を私達の旅行内容の充実にあてて下さった。普通のパック旅行では味わえない「本物の中国と出会う旅」という御家元の思いに溢れていた。
先にご自身が行かれ、これは皆に見せたい、触れさせたい、賞味させたい、感動させたいと思われる所に連れて行って下さった。現地の添乗員の解説で不充分なところは家元自らが付け加えられた。思わず添乗員が拍手するほど中国の事をご存知だった。
そんな御家元に導かれながら旅する中国に、いつの間にか私自身も嵌まってしまっていた。お茶に関する事は勿論だが、中国で接する人々にも関心を持った。どなたも親切で温かい方ばかりなのだ。中国の学者さん、馴染みの添乗員さんら、御家元と以前何らかの関わりを持たれた方々だろう、「小川後楽が中国に来ている」という噂でも流れたのだろうか、御家元に一目会いたいとお土産を持ってホテルの部屋の廊下にずらりと並んでいるのだ。私はその時案内係とでも言おうか、「次の方どうぞ」と順にお客人を部屋の中へ案内していた。全てが終われば日付の変わっていた時もあり、今から思えば嬉しい事もとはいえ体力的にもキツイ事だったろうと思う。しかし私達にとっては、頂かれたお土産の中にとても美味しいお菓子もあって感動した。特に忘れられないのが大きな月餅で、4分の1づつ中に入っている物が違っていた。(レーズン、くるみ、粒あん、餅)そしてその月餅のどこかに金の人形が入っていて、それに当たるとラッキーと云うので皆でワイワイ言いながら食べたのを覚えている。
御家元にとって中国は原点。そこで暮らす人々についての真実を知りたい、遡っては空海が漂着した頃はどうだったろう、唐代の陸羽.盧同に会ってみたいなぁーという情熱いっぱいの御家元の姿を、門人皆微笑ましく見守っていた。そこに小川流の確たるものを見ていたのかもしれない。
随分と前になるが(まだ20世紀の頃)21世紀は、ただ健康だけでは足りない。理性に裏付けされた文化を持って心豊かに生きる事こそ、人としての喜びではないか。それに『煎茶』はピッタリなのだと言っておられた。私はその言葉が頭から離れなかった。
人類と出会って五千年とも六千年言われる『お茶』。その間忘れ去られる事もなく、飽きられる事もなく今に続いている。そのお茶の持つ本来の在り方を問われていたように思う。現在を生きる私達にとっての「お茶のあるべきようわ」その思いを汲み、微力ながら私なりにその「あるべきようわ」を問い続けていきたいと思っている。
長い間本当に有り難うございました。