色彩構成~色の三要素~

色の三要素
色には色合い(色相)しきそう
色の明るさ(明度)めいど
色の鮮やかさ(彩度)さいど
これを知っておきましょう。
その色相を環にしたものが色相環といいます。P1019596.JPG
日本語訳
12時から き(黄)
きみのだいだい あかみのだいだい あか あかむらさき むらさき あおむらさき あお みどりあお あおみどり みどり きみどり き
12時と6時の正反対のところの色が補色
補色というのは混ぜ合わせると 無彩色 (グレイに近い)になります。
作品の写真を撮るときにも注意しています。
今はパソコンで色の3要素に変化がつけられます。千羽鶴.jpg
これは 生麩をたいたときの写真。
ちょっと彩度をあげてみますとこんなかんじ。千羽鶴saido.jpg
鮮やかになりましたでしょうか?
次に明度を落としてみます。
暗くなります~千羽鶴 meido.jpg
最初の写真にもどります。千羽鶴.jpg
いつも、陶芸のフェイスブックの写真や ブログ写真はこうやって すこしでも見やすく
作品がきれいに見えるように調整しています。
それで、細部まで丁寧につくっているところまでよく見えるようにしています。

色彩構成~色相~

中学生にとって必要な色の勉強のことです。
色は時計になっています。
1時から12時です。
またその時計の色ですが、12色。
各メーカーが出している子ども絵の具の12色セットとは全く違います。
赤は各種メーカーによってもちがうんです!
本当に赤いな・・と感じる色は青みがかっていると思ったりします。
もちろん感じ方には個人差というものもあります。
同じチューブから出した色でも、画用紙に塗ったときはみんなちがっています。
同じ絵具でも、これがふしぎなことに、水の量や筆の使い方でまた違います。
P1019596.JPG
この図は12色相環図です。
赤はどこでしょうか。
3時のところが赤?ではなく
4時のところなんです!
一番上は黄色ではなく、黄緑!
これが日本語訳となります。
そしてこの色にはそれぞれ科学で数字で説明できる光の分析です。
光がなければ色は見えません。
また、この色がわからなくても(色弱等)
色彩豊かな表現 理解は可能です。
色の3原色 赤青黄 それぞれ混ぜると無彩色(グレイ)になります。
メーカーによります!(^^)!
さてさて、実践にどれだけいかせるでしょうか。
勇介君途中の絵です。
馬の絵です。p1019489.jpg
馬の部分は青みがかっている。
それを主題にするなら
青を引き立たせる黄色ではないか?
と考えたり・・
アドバイスしたり・・
コンクリートを突き破った外の世界にするなら、
もっと、無機質にしようとか・・
そういう話し合いをします。
それが、中学生に必要な色の話です。
ヨハネスイッテン色彩論より

色彩構成

絵の描き方、導き方についての本が少ない。
あれこれ教えない方がよいということも、よくわかります。
自分の感性で自由に工夫して調べて思いっきり描くことができる。
好き勝手に描くことで十分。
充分に工夫して研究できる。
そういうこともありますが、
素材と絵の具の使い方、発想の転換は、指導が必要。
中学生なら絵の具はポスターカラー、アクリル絵の具、やアクリルガッシュ、
呼び方は違うけれど、重ね塗りに合う素材ということです。
まずは下描きから塗りはじめまで。楽しく描けるときには指導はいらないようですね。
6時間かけてやっとここまで。p1019218.jpg
まわりは、土か木の絵にするそうです。dcim0190.jpg
p1019417.jpg
グレイだと少し本人の思いと違うみたい・・だんだんつらくなってきているようで・・
そういう時には先生が必要。
背景の色の変更
はじめの主題を思い出す、あるいは主題を変える。
黄色は下の色が出てくるから、アクリル絵の具を買いに画材屋さんへ。
さてどうなりますやら。
青に対して黄色を持って来れば映えるかな・・右下黄色p1019489.jpg
テーマの変更ですが、
稲垣足穂の
「空の美と芸術に就いて」
これは、映画「風立ちぬ」とも関係しているそうです。
イメージは多くの感動をためておいて、心のひきだしに入れておいて必要な時に出し入れできること。
家にいて、パソコンとにらめっこで、コピーしていてはだめなんですね・・。
この段階で、縦横の向きを変えて、
画材屋さんへ。
筆と黄色のアクリル絵の具を買います。
P1019585.JPG
最後は飛行船が飛ぶそうです。
まだこれでも未完成。
このように、いろんなシーンで臨機応変に工夫して絵と向き合って上手く自分の表現に合わせる。
時間で言えば18時間3時間を6回です。
美術部で好きに描くのとちがうのは、
このままでも大学入試に使えることです。
技法や内容にもよりますが、こういう過程で作品ができるという
その過程、プロセスを習うということはすべてに通じます。
自分の中での失敗から、組み立てなおす楽しさこそ、絵の寛容さ不思議さ、楽しさです。
完成がたのしみですね。
勇介さん

亀岡高校

もし、今の小学5年生が大学を受験するときがきたら、
センター入試の廃止
そして、少子化のおかげで突出した個性を大事にしてくれる社会が今より少しでも熟していたらうれしいと思う。
特に我が家の場合兄弟そろって、個性的(感謝しよう)なんです。
そんなことも お問い合わせなどもあって、
亀岡高校に行ってきました。http://www.kyoto-be.ne.jp/kameoka-hs/3rui2012/index.html
第III類芸術系(美術・工芸)では、未来のクリエーターとなる人材育成のための教育活動を行っています。
 それはただ単に芸術系・美術系の学校に進学することを目標にするのではありません。
創造的で豊かな感性を持った人材育成を目指すものです。
木村和正先生より
まず京都市内からだと通学にはJRで京都駅から亀岡まで。
徒歩で10分で到着します。
主任の先生は木村和正先生です。
京都芸術大学の後輩です。
P1019448.JPG
亀岡駅です。
前には大手スーパーがあります。
綺麗な駅に整備された町です。
P1019449.JPG
広い敷地に美術の校舎は別にあります。
基礎デッサンの配点が高く、全体の成績のおよそ半分程度をしめます。
でも、3時間鉛筆デッサンができる(忍耐)ことが必要です。
定員は30人。(2013)
P1019450.JPG
石膏像が玄関にあります。P1019451.JPG
かわいい女の子が多いです。やさしい、きちんとした女の子たちにすれ違いました。
ご参考までに。
アトリエ遊  2013 いまはしゆうこ絵本館
10月30日現在

絵の描き方について

「絵の描き方をおしえましょう」に込める思い。
私の子ども二人は教育大学附属校に通っています。
なぜかというと、私自身22歳からこの年にいたるまでまで
大阪教育大学附属小学校の入試について、
調べまとめ考えてきました。
毎年確実に合格させることを目標に。
その結果として、
必ず合格させる、塾でよく聞く目標とはちがい
絵を描くことによって小学3年までの学力をつけることができる。
小学3年までは具体的操作の、目の前のものを動かせることばかり。
国語は音読など、文字や数字といっても、お絵かきでできることばかりです。
そして発表する力をつければよりよいと考えました。
そして、体を動かすことです。
教育指導指針を買ってきて、お絵かきとの関係を調べてみました。
小学校3年生までのことはすべての教科です。
何度も思うことですが、私は教育者であっても教育委員会に所属していないし
民間の研究者です。だから、派閥もなく自由と言えます。
ですから書けることがあります。
入試の研究をする上で附属学校園の特徴とも言えますが
「私たちは教えません・・絵の描き方をおしえません。」と、
まるで、教えないことが素晴らしいことのようにおっしゃることがあります。
描きたいように描かせましょう。
とか、好きな色を使いましょうとか。。
興味があればもっともっとたくさん描きましょう。
という、保育の形(幼稚園)
あるときは、絵はコーナー保育のような形です。
これについて不満があるわけではありません(母親としての視線)
ただ私の経験の中で、
東大阪で公立の小学校授業の「ゆとり教育」の時代に絵の好きな子の時間を受けもったことがあります。
ゆとりの教育のときには
「何も好きなことがない」と無気力に答えた子たちがいました。
その時に、ゆとりという名前の、無責任、見て見ぬふりの放任・・ではないかと、母親として感じました。
もうずいぶん前です。
その時の経験からすれば
教育大学附属校で実践とされる、学校園の子どもたちとの違いです。
言いたかったことは
(母親としてもごめんなさい)
もし描きたいものがなければ、どうしますか?
絵が嫌いならどうしますか?
興味のあるものがなければ・・どうやって描かせますか?
というマイナスのイメージ設定。
わたしは、それについて考えました。
絵は誰にでもできますし、
繰り返し言いたいことですが
弱視や こまりごと 聴力の問題 心の問題・・
色んなことを乗り越えても
自由に表現できる分野です。
附属校では、小学校に入学する段階もうすでに
よい絵をかく家庭が(心の豊かさ)という意味で、
選ばれています。
家庭環境を含み、すでに、表現したいものがいっぱいあって
明るく、豊かな色彩感覚をもっているのですから。
「絵の描き方をおしえましょう。」
というのは、心を解放するお手伝いをしよう・・
という意味で、決して
手芸やお料理とは違うわけです。
順番通りにきれいに作ることが
お絵かきの目的ではありません。
まだ あおいみかん
小学5年
p1018785.jpg
次男が 足を打撲して、みかんを描きました。
ちょっと せつない すっぱい 味。
まだ あおいみかん

美術室

美術室
私は美術室をみれば、学校のことがわかります。
たとえば偏差値がどれくらいか。
この表現がよいのかどうか、もし失礼なことなら、すみません。
美術室やアトリエの空気でおよそのことがわかります。
大阪の公立高校、
私立女子、男子小中校
定時制、単位制、の学校
国立の小中学校
などなど・・
美術から見た子育てですが、
たとえば粘土工作についてです。
粘土を渡せば、先生に投げつけてくるような、定時制の高校もあります。
あるいは、無気力で何も答えがかえってこない学校もあります。
美術は、音楽や体育と違って、順位や成績がわかりにくいし、
特別な環境 楽器を買ったりしなくてもよいし
美術の道具は、跳び箱や鉄棒などと違って環境もそれほど特定しません。
美術は寛容です
寛容というのは、
その人が表現したかったものをみとめ、
また伸ばし、自信をつけることができます。
絶対的価値観があるようで、実は「寛容さ」にくるまれています。
先ほどの、粘土を投げつけてくるような子どもが、何か悪いかというと、
(もちろん悪いのですが)やはり、自分では抱えきれない悩みや、どうしようもないことがたくさんあって、どうしようもないことも・・・あるのではないかな?
無気力な人たちも、もっともっと小さいときに、自分の意見や意志をしっかり持って誰かに褒められたり、認められたりしてこなかったからではないのかな・・。
誰もできないことができる強さは
この「寛容さ」からくるものではないでしょうか。
だからこそ、本気になったらなんだってやれる。
そういうことを言ってあげられる教科なんです。
美術は寛容です。
点数や知識や偏差値で縛られない世界があります。
さて、指導者はどいうでしょうか。
どんなことでも、ほめて
現代美術のように
「芸術は爆発」というような
言葉で完結させていないかな?
君たちはこれから大人になっていく。
そのなかできっといろんなことがまっているだろう。
どんな状況におかれても
どんなことをしても
どんな時代でも生き抜いてやる
そういうメッセージを謙虚に伝えてほしい。
そしてその上で、なにが大事で、
なぜこのような絵を描かせるのか
指導者にはしっかりした考えが必要です。
お絵かき教室の先生には資格がありません。
音楽の先生でも書道の先生でも絵をおしえたりできます。
学童保育でも保育士さんもです。
また、芸術大学を卒業していても子供のことがわからないのが普通です。
お絵かき教室の先生というのは、いろんな大事な役割があっても、資格はありません。
美術室には
「寛容さ」による先生の大きさ豊かさ
自分の置かれている環境の中で生きようとする子どもの姿もあり
また、環境設定(学校)の資質みたいなものも見えてきます。
また、このようなことを言えるのは
私が無所属で
学校の先生ではないからです。
「美術から見た子育て」
は、お母さん方保育士さんにも伝えたい気持ちです。
写真は伏見教室の柱です。身長が刻まれていきます。P1018737.JPG

丸が描けるまで~3~

子どもの絵は
じつは こういうこともあります。
三島由紀夫 全集より
これは文章の話ですが、絵にも十分にあてはまります。
子どもの文章は表現の奇抜さと感覚のどきりとするような生々しさと、一種のデフォーメーションの面白さによって人の注意をひきます。
子どもながらの文章で人に喜ばれているのは山下清氏の文章でありませう。
しかし それはあくまでも文章として片端のものであって、子どもの唄やつづり方における奇抜さは、年と共にうすれ、山下氏のような一種病人でない限りその魅力はうすれます。
そうして大人の常識に侵されてもなほかつ、内部から子どものように新鮮な感覚がひらめくものが本当の文章の面白さなのです。
子どもは 大人よりもさらに「事物の世界」に親しみを持っています
手にしたオモチャや 庭の木や そこらにころがっている石や 昆虫や動物が、子どもとの間に大人よりももっと深い親戚のような関係を持っています。
その発見がわれわれをおどろかすのですが、われわれはこういう関係を見失っているからです。
そうして この子どもの世界を大人の目からながめた ジャンコクトーの「おそるべき子どもたち」や谷崎氏の「小さな王国」によってわれわれはふたたび子どものかいた文章よりも大人の魂が子どもの世界にふれた文章の方がずっと貴重なのであります。
・・・・・
ちょっと、私の伝えたいことと似ています。
ありがとう。資料提供 U介さん。

丸が描けるまで~2~

赤ちゃんの絵は芸術作品ではない・・
子どもの絵(特に3歳までの絵)は神聖なものとして、過敏になる必要はないということについて説明します。
まず、赤ちゃんは
7か月 一人で座れるようになり座って両手が自由に使えます。
9か月 両手に物を持ったり打ち付けたりたたきあわせたりします。
何か描こうとする体ができたら、環境設定という意味で、できたころが(おえかきをする)その時です。
2010-01-01 00.00.00-18.jpg
このころの絵です。P1018489.JPG
しっかりとペンを持っています。
しおりちゃん。
ありがとう。
離乳食が進むと
こっぶを持ってお茶を飲む 
スプーンを持って、食べ物がお口に入る 
など、道具を使って上手に行動をおこすことができます。
手と目の協応運動(動作)と言いますが、指と手と目のバランスのとれた協応運動は生まれたときから いろいろな外界とのふれあいから発達してきます。
協応運動は段階的に少しずつ成長していきます。
  刺激は 五感で集められて 脳に。それから 考えて 運動へ 手へ伝わります。
芸術だといってしまうよりもっと大事な考える脳にも、また身体の発達にも役に立っている。
芸術というわかりにくい枠にはめるより 自由にのびのびと。
そういうことが言いたいのです。

丸が描けるまで~1~

あってもしょうがない。役に立たない。無駄なもの。
芸術は無駄なものです。。
さてさて
本当にそうでしょうか。
芸術は人間に必要なものです。きっぱり。
赤ちゃんの時代から道具を持って丸を書くのにおよそ2年半・・3年・・3年半・・ぐらい
スタートからゴールまで行ける。丸が書けるってすごいこと。
これに優劣がありますか?
無駄なものがどこにあるんでしょうか。
人間に必要なものは「無駄」
文化は必要なものなんです。
P1018466.jpg
大きな○を描く人。早く強くしっかり濃い色を描く人
やさしくゆっくり丁寧に描く人
いっぱい描く人
一つ一つちがう○の形。
お母さんから少しずつはなれ、
離乳食もはじまり外の刺激と充分に受け取って一歩一歩成長します。
記憶力もついて、道具を使い、ハイハイからつかまり立ちへ
今まで見たことのないものに興味津々。
その丸の形と色に一つ一つに個性があります。
あなたの○はこんなだね・・そしてあなたの○はどんなのかな?
個性を認め合って、正解はない。優劣もない。
こういうことが人間には必要で、
絶体に無駄なものではありません。
○を書きはじめて
まず元気でよく体を動かす人は 力強い絵を描いていきます。強い色が好きで、はっきりした○をかきます。
やさしい人はあたたかい○をかきます。配色も線もあたたかいです。やさしい配色を使います。
考える人は工夫して、変化をつけたり実験したりして描いていきます。重ねたり、混ぜたり、実験を繰り返します。
自分で考えてくふうする人は、同じ〇でもとてもいきいきとしています。
画面いっぱいに大きく○を描く子はのびのびしている人というよりは、画面いっぱいにのびのび書くのが楽しいようです。
全く描かない人も、心の中では十分に何かを考えています。
指導者は資格を取るよりも大事なことがあります。
その人(対象)の気持ちになってみることです。
(デッサンと同じです。)
感受性は先生に最も必要です。
○ひとつ描いても、色や形大きさ。
そして性格や個性によって
みんな違いますが、それこそが大事なことで、優劣もなく
子どものすることに無駄はありません。
個性を認め合って、刺激をうけてのばしていくものです。
そういうことがわかる大人であることが大事です。
芸術[芸術を感じる心」は無駄なものではありません。
最後にとても大事なことですが
子どものかく絵は芸術作品ではありません。
芸術的才能とかそういうことよりも
運動の一部であり成長の過程、
軌跡だととらえて、
才能を伸ばすなどではなく、
「ゆうちゃん。まる描こうか~。」と遊びのなかで楽しく、遊びにさそってあげましょう。
そこには、あの人と遊びたいな~と思わせるムードと雰囲気が大事です。
笑顔です。
鏡に向かってにっこり。自然な笑顔を練習しましょう!

6か月の赤ちゃん

赤ちゃんってすごい。
毎日毎日成長しています。
ぷっちプチでは、必ず手形をとって
プレゼントします。
これは しおりちゃんの手形です。
お花にしてみました。
P1017841.JPG
先生が絵にして、完成させるというものです。
そうすれば、見立て遊びのようで、いろいろなことができます。
私のささやかな考えですが、
ぷっちプチでかかわった子どもたちが
大人になって 
あの時の ゆうこ先生の(若い時に)こんなことしてもらったと。。
自慢できる作家になりたいと思うんです。
だから、作家活動も頑張れます!